親しい友から送られてきた一枚の写真があります。
それは、けっして上手ではないけれど、どこか人懐っこい筆跡で書かれた手紙でした。日付は昭和10年(1935年)6月14日。当時は世界恐慌を契機に、戦争に向けて進んでいく最中のことでした。
送り主は商業界創立者、倉本長治。当時は誠文堂新光社という出版社が刊行する雑誌「商店界」で編集長として活躍、多くの商人たちと親しく交流、取材に全国をめぐっていることが残された記録からわかります。
「松井みどりや主人様」という書き出しで始まる手紙には、こう書いてあります。仙台のある商人が「商店界」に寄稿する連載記事で繁盛ぶりに触れた上で、「こういふ話を貴下にも書いて頂いたらとおもひます。よかったら書いて下さい(連載します)」。手紙は連載記事の執筆依頼状でした。
手紙の送り先は松井弘さん。1890年に愛知県岡崎市で生まれ、新聞社の支局長を務め、1921年に玩具店「みどりや」を開業した人物です。手紙にあるとおり、松井さんは「商店界」、そして戦後に倉本が創刊した「商業界」にもたびたび寄稿。その芯のある商いの哲学を多くの商人に伝え、今のその哲学は受け継がれています。
今年で創業100年。みどりやはその後、化粧品店へと商いを変え、今は4代目が同じ土地で商いを続けています。全国を駆けまわり「まちゼミ」の伝道と普及に尽力する松井洋一郎さん、その人です。自らの商いに誇りを持ち、地域を愛し、商人たちと連帯する彼の活動ぶりは、創業者から連綿と受け継がれるものなのです。
みどりや創業者は、自らの商店経営の真髄を「商賣の趣味化」という冊子に遺しています。「趣味化」と題する意図を倉本の著書『機会を活かせ』から紹介します。
〈商店経営の研究も一種の趣味である。たとえば一枚のチラシ広告を作るにも、よく考えて心持よく出来上がれば、それ自身にうれしさを感じ、ショーウィンドーに商品を陳列しても、気持ちよくかざることができたとすると、何よりも楽しく、自分でほれぼれするくらいになりたいものです。「商売の趣味化」とでも申しましょうか、経営そのものを興味あるように楽しみなものにするところにその主旨を存しています。〉
その具体策として12項目を挙げています。それは今も古びることのない繁盛の要件です。
01.商業経営研究会を設けること
02.商店日誌を作ること
03.店勢調査を行なうこと
04.広告印刷物蒐集
05.書籍、雑誌、新聞をよく見ること
06.大都市の商店および商店街を見ること
07.町内連合の一致共同
08.店員を優遇すること
09.店の金と自己の金を区別計算すること
10.広告、販売、その他商店に関することは、常に研究を怠らぬこと
11.健康を増進、内に外にわだかまりなく清き心を持ち、うるおいある人間味豊かな生活を続けたいものです(物質的にも精神的にも)
12.商業に関する催しもののある際は、出品するなり見物するなりして、自己のものとして参考資料たらしむこと、博覧会、共進会等つとめて見ること、市立商品陳列所、商業会議所、商工業組合連合会、市産業課等を利用し、便利を得ること
以上12項目の中に、まちゼミが目指す商いとの共通点を見るのは、私だけではないはずです。実践者の皆さんこそ、これらを自覚して取り組んでいることと思い、紹介させてもらいました。
先ごろ行われたみどりや創業100周年式典に参加させていただき、みどりや創業者と倉本との厚い友情を思いました。この秋行われる「全国一斉まちゼミ」に私が注目するのも、そうした導きゆえかもしれません。
なお現在、東海愛知新聞では岡崎地方史研究会会長、嶋村博さんによる「みどりや主人の昭和史」が連載されています。その元ネタは初代主人が残した150冊を数えるスクラップ帳。大正時代から昭和30年代頃までのもので、新聞切り抜き、手紙、各種の広告チラシ、商品のしおり、領収書、旅行案内、絵はがき、交通切符、社寺のお札、駅弁の包み紙に至るまで、「ふつうの人なら捨ててしまう紙片を貼り集め、所々に解説や感想を書き添えて日記にしている」(記事より引用)のです。
まさに実践の人でした。