
聞くのではなく見抜く
ある日の売場でのことです。一人の男性が、棚の前で立ち止まっていました。手に取っては戻し、また別の商品を見ては迷う。その様子から「どれがいいかわからない」という戸惑いが伝わってきます。声をかけると、こう言いました。
「どれも良さそうなんですが、自分に合うものがわからなくて」
そのとき、商品説明を重ねることもできました。素材や機能、価格の違いを丁寧に説明する。それも商人の仕事です。しかし、その店員は少し違いました。
「どんな場面でお使いになりますか?」
そう問いかけたのです。すると男性は、「仕事で外回りが多くて、できれば楽で、でもきちんと見えるものがいい」と答えました。
その一言を受けて、店員は商品ではなく“使う場面”から提案を始めました。「それでしたら、長時間着ても疲れにくくて、少し伸縮性のあるこちらが合うと思います。夕方まで形も崩れにくいですよ」
男性は迷いなくそれを選びました。商品が良かったからではありません。自分の生活に合うと感じたからです。ここに、これからの商いの本質があります。
商品知識は「入口」に過ぎない
商人にとって商品知識は欠かせません。素材、機能、産地、製法。これらを理解していることは信頼の土台です。しかし、情報があふれる時代において、商品知識だけで選ばれることは少なくなりました。お客様はすでに、多くの情報を持っています。
だからこそ問われるのは、その商品が暮らしの中でどんな意味を持つのかを示せるかどうかです。たとえば同じ食品でも、「国産素材で無添加です」と言われるのと、「忙しい日の夕食でも、これ一つで安心して家族に出せます」と言われるのとでは、受け取り方が変わります。
前者は情報であり、後者は生活の提案です。商品知識は入口にすぎません。本当の価値は、お客様の生活の中に置かれたときに初めて立ち上がるのです。
「売る」を超えて生活を編集する
では、商人が「生活の編集者」であるとはどういうことでしょうか。それは、商品を単体で売るのではなく、お客様の暮らしの中に配置し、意味づけることです。だから優れた売場では、商品が点ではなく線になっています。
「これを使えば、朝の時間が楽になる」
「これを選べば、来客時にも安心できる」
「これがあると、日常が少し豊かになる」
そうした文脈があるからこそ、お客様は選べるのです。逆に、商品がいくら豊富でも、生活の中での位置づけが見えなければ、お客様は迷い続けます。選ぶとは、生活の中に置くことだからです。
商人の役割は、商品を増やすことではありません。選びやすい意味の流れをつくることにあります。
ニーズは「聞く」のではなく「見抜く」
「お客様のニーズを聞く」という言葉があります。しかし本当のニーズは、言葉になっていないことが多いものです。だからこそ、商人には観察と想像が求められます。迷っている時間、手に取って戻す動き、何気ない会話の一言の中に、お客様自身も気づいていないニーズが隠れています。
そこに気づき、「こういう場面でお使いになりますか?」と問いかけることができるかどうか。それが単なる販売と、生活を編集する商いの違いです。
商品を説明することは誰にでもできます。しかし、生活を想像し、その中に商品を置いて提案することは、簡単ではありません。だからこそ、それができる店は選ばれます。
これからの時代、情報はさらに増え、AIは商品知識を補完していきます。その中で商人に求められるのは知識の量ではなく、想像力の深さです。では、何から始めればよいのでしょうか。まずは一つの商品について、こう問いかけてみてください。
「この商品は、お客様のどんな一日をつくるのか」
次に、売場を見直してみてください。その商品がどんな場面で使われるのかが伝わっているか、お客様が自分の生活を重ねられるかということです。
そして、接客の言葉を変えてみてください。機能ではなく、使う場面を語りましょう。説明ではなく、体験を描いてみせましょう。この小さな積み重ねが売場を変えます。
商人は商品のプロであるだけでは足りません。お客様の暮らしを想い、その中に価値を配置する編集者であることが求められます。その視点を持ったとき、売場は「モノを並べる場所」から、「暮らしを提案する場所」へと変わります。そしてその変化こそが、これからの時代に選ばれ続ける店をつくるのです。
お客様を愛し、お客様に愛される商人に、元気と役立つ情報をお届けします
新刊案内
倉本長治の商人学
笹井清範 著
柳井正 解説
好評既刊
笹井清範 著
笹井清範|商い未来研究所
店よし客よし世間よし
三方よしに加えて未来よし
商人のみなさん
四方よしを目指そう
当研究所は、お客様を愛し、お客様に愛され、明るい未来を創造しようと努めるあらゆる商人の応援団です。「商業界」編集長として向き合った4000人超の商人から学んだ「選ばれ続ける店のあり方とやり方」を講演や研修、執筆を通じてお伝えしています。




