
未来を提示する人
お客さまのニーズに応える――この言葉は、商いの現場であまりにも自然に使われています。正しく、誠実で、否定する余地のない姿勢です。
しかし同時に、そこには見落とされがちな前提があります。人は本当に、自分の欲しいものを言葉にできているのかという問いです。スティーブ・ジョブズはこう言いました。
“People don’t know what they want until you show it to them.”
(人は、見せられるまで自分が何を欲しいのかわからない)
この言葉は「顧客の声を無視せよ」という意味ではありません。むしろその逆です。顧客を深く理解しているからこそ、顧客自身も気づいていない欲求を形にできるという思想です。
客の声を聞くな、客の心を読め
人は、知っているものの中からしか欲望を語れません。経験したことのない価値、見たことのない選択肢、想像したことのない未来については、言語化できないのです。
だから「聞く商い」だけでは、どうしても“改良”や“最適化”にとどまります。アンケートを取れば改善点は見える。しかしそこから生まれるのは、既存の延長線上の答えであり、飛躍ではありません。
ジョブズがやっていたのは「聞く」ことではなく、「読む」ことでした。人間の行動の中にある違和感、無意識の不便さ、言葉にならないストレス、説明されない不満。それらを構造として捉え、「形」に変換すること。その結果、人々は「欲しいと思っていなかったもの」を欲しくなったのです。
ジョブズの言う「見せる」とは、単なる陳列や演出ではありません。商品を提示することではなく、意味を提示することです。使った後の暮らし、変わる日常、選び直される価値観、更新される生き方。人はモノを見ているのではなく、「その先にある自分」を見ています。
だからこそ見せられると、「これが欲しかった」「探していたのはこれだ」という言葉が生まれます。それは発見であり、共感であり、納得です。欲望が“つくられた”のではなく、もともと心の奥にあった価値が照らされた瞬間なのです。
光を当て、輪郭を与え、形にする
この構造は、小さな店にこそ当てはまります。大型店は品揃えで勝てます。ECは価格と利便性で勝てます。しかし、小さな店には「編集力」があります。
何を置かないかを決める力、何を選び抜くかという判断軸、どう組み合わせ、どう語るかという文脈づくり。これはデータではなく、人の思想から生まれます。
だから小さな店の商いは「ニーズに応えること」で終えてはなりません。顧客の暮らしを観察し、地域の時間の流れを読み、季節と人生のリズムを感じ取りながら、未来の選択肢を提示することが仕事になります。
「こういう暮らし、いいと思いませんか」
「こういう時間の使い方、心地よくありませんか」
「こういう在り方、悪くないと思いませんか」
それが“見せる商い”です。人は、欲しいから買うのではありません。見せられ、意味を感じ、納得し、選び取るのです。
商人の仕事は、説得でも操作でも誘導でもありません。照らすことです。顧客の中にすでにある価値観、願い、理想、憧れ。それに光を当て、輪郭を与え、形にすること。だから商いは、「販売」ではなく、価値の翻訳という仕事になります。
ジョブズの言葉は、マーケティング論ではなく商人論です。人は、見せられるまで、自分が何を欲しいのかわからない。だから商人は、商品を並べる人で終わってはいけない。未来を提示する人でありましょう。
売場とは、在庫置場ではありません。価値観の展示空間なのです。
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