
手渡す価値
レジ前の風景が、この10年ほどで大きく変わりました。財布を開く代わりに、スマートフォンをかざす。カードを差し込む。「ピッ」という音とともに決済は終わり、会計は一瞬で完了します。
便利になりました。速くなりました。しかしその一方で、商いの現場から静かに消えつつあるものがあります。それが「手渡す」という行為です。今日は、キャッシュレス時代だからこそ見直したい「手渡す価値」について考えてみましょう。
日本でも進むキャッシュレス化
日本のキャッシュレス決済は、この十数年で急速に広がりました。経済産業省の調査によれば、日本のキャッシュレス決済比率は次のとおり。
2010年 13.2%
2015年 18.2%
2020年 29.7%
2023年 39.3%
2024年 42.8%

2025年の数字はまだ発表されていませんが、着実に上昇しています。政府が掲げていた「2025年までに4割」という目標は、すでに達成されました。世界を見ると、中国や韓国ではすでに8~9割に達していると言われ、日本でも今後さらにキャッシュレス化が進むのは間違いありません。
キャッシュレスは会計を早くし、人手不足の解消にも役立ちます。小売業にとって大きなメリットのある仕組みです。しかしここで、あらためて考えてみたいのです。また買いに行きたいと思われる商いとは、決済の効率化の先にあるのでしょうか。
お金のやりとりは関係のやりとり
現金で支払う時代、会計には小さな所作がありました。お客様がお金を差し出す。店員が両手で受け取る。お釣りをそろえて手渡す。
その間に、「ありがとうございます」「またお越しください」と言葉が交わされます。ほんの数秒です。しかし、この数秒のやりとりこそが商いの温度でした。
ところがキャッシュレスでは、このやりとりが消えてしまいます。スマホをかざして終わり。カードを差し込んで終わり。決済は効率化されましたが、同時に関係の接点も短くなっているのです。
商いとは、お金のやりとりではありません。人と人の関係のやりとりです。
レジは店の「最後の舞台」
売場にはさまざまな接点があります。商品を選ぶ時間。店員と話す時間。売場を歩く時間。しかし、お客様が必ず通る場所が一つだけあります。レジです。
レジは、店で最後に交わす瞬間。言い換えれば、店の印象を決める最後の舞台です。ここが事務的になると、店の記憶も事務的になります。
逆に、ここが丁寧だと、店の印象は温かく残ります。キャッシュレス時代ほど、レジは「決済の場所」ではなく感謝を伝える場所になります。
お客様は、支払い方法で店を選びません。キャッシュレスが使えるから通うという人は意外と少ないものです。
では、なぜ同じ店に通うのか。それは記憶です。気持ちのいい接客、丁寧な所作、最後の一言。そうした小さな体験が積み重なって、「またあの店に行こう」という気持ちになります。
商いとは、売上を積み上げる仕事ではありません。記憶を積み上げる仕事です。

キャッシュレス時代の商人の仕事
キャッシュレスはこれからも進みます。私もそれに異を唱えるつもりはありません。将来、日本でも決済の多くがデジタルになるでしょう。
しかし、それは商人の価値が小さくなることではありません。むしろ逆です。決済は機械がする。しかし、感謝は人が伝えましょう。スピードは機械がつくる。しかし、記憶は人がつくりましょう。
だからこそ、キャッシュレス時代の商人は忘れてはいけないことがあります。商品を手渡す。言葉を手渡す。感謝を手渡す。その瞬間に、商いの温度が生まれるのです。
技術が進むほど、人のぬくもりは価値になります。だから今日も、レジで最後に「ありがとうございました」と言いましょう。その一言を、きちんと手渡しましょう。
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