元旦朝、コンビニの雑誌棚で偶然見つけたAERA臨時増刊「サザエさん2024」。特集「商店と百貨店」に惹かれて2024年初めての買い物となりました。
誌面では、昭和の頃の店の様子とサザエさん一家の買い物にまつわる悲喜こもごもがまとめられ、自身の子どものころとその当時の父母兄を思い出しました。当時、店でのやりとりはそれ自体がエンタテイメントだったのです。
半世紀ほどたった今日、店での買い物のありようはずいぶん変わりました。多くの店がセルフセレクションであり、会計のセルフ化も当たり前になりつつあります。そこには“余計な会話”は存在しません。
当時、小売業の王様だった百貨店も大きく変わりました。1990年代の9兆円をピークに、近年の売上高はとうとう5兆円を切るまでに減少。中でも、売上の4割を占める主力商品であった衣料品の売上減少が特に顕著です。
百貨店のない都道府県は現在、山形県、徳島県の2県。続いて島根県2024年1月に、そして岐阜県が同じく7月になくなります。これら以外にも、百貨店が1店のみの件は次のとおり12県にのぼります。サザエさんが大喜びした百貨店の輝きは過去となりました。
茨城県 水戸京成百貨店
山梨県 岡島
富山県 大和富山店
和歌山県 近鉄百貨店和歌山店
福井県 そごう・西武 西武福井店
香川県 高松三越
高知県 高知大丸
佐賀県 佐賀玉屋
熊本県 鶴屋百貨店
宮崎県 宮崎山形屋
鹿児島県 山形屋
沖縄県 リウボウインダストリー
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
いささか引用が長くなりましたが、これは鎌倉時代に鴨長明によって書かれた随筆『方丈記』の冒頭。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈(一丈四方、すなわち約3.3㎡)の草庵にちなんだものといわれています。
変化しないものはありません。明日は今日と同じように見えますが、それは誤りです。同じ今日でも、来年の今日、10年後の今日が同じものではないことはあきらかです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙ら双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」で始まる平家物語もその事実を物語っています。
だから、私たちは今この一瞬を大切に生きなければならない。そんなことを思った新年の始まりです。