お会いしたことはありませんが、私の料理の先生はこの人。いくつかの本を読み、つくる楽しさとつくる心構えを学んでいます。
『土井善晴の素材のレシピ』は、冷蔵庫を開けて素材を取り出し、「これで何つくろう?」と迷ったときに読み返す一冊。「あ、これにしよう」と日々の家庭料理を導いてくれます。
料理の本ですが、そこには仕事、生活、学びなど、生きる上で大切なことが書かれています。食とは日常、日常とは人生そのものです。今日のブログはその冒頭から引用させていただきます。
忙しくてもお料理することはよいことです。
忙しくてもお料理すれば、自分らしくいられます。
お料理すると、そこが自分の居場所になるからです。
料理するという原初的行為は「人間らしさ」の起源です。
手で触れて料理する行為は、誠実と健全と創意を生む火花。
手は心とつながっているからです。
素材とは、動物、植物、自然の命ある生きものたち。
「命貰います」ちょっと怖い、血が流れます。
料理はきれいごとじゃないんです。
赤い血が身体を流れていることを思い出してください。
「料理する」のは身体の活(はたら)き。
感受性は人生の喜びを受け取る装置。
茨木のり子さんは、
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と書きました。
「自分の食べものくらい 自分で料理しろ ばかものよ」と私は書きたい。
家族が料理して自分が食べる。
自分が料理して自分が食べる。
自分が料理して家族が食べる。
家族は自分、自分は家族。
「料理する人」は表現者、「食べる人」は観客です。
その不可分のやりとりが、人間らしい幸せを作るんです、
ね。
土井さんにとって料理することは生きること。
私にとって書くことは生きること。
商人にとって商うことは生きること。
あなたにとって生きることとは何でしょうか。