好きな作家を一人に絞るのは難しいのですが、その一人は間違いなくこの人です。昭和を代表する脚本家、作家の一人、向田邦子さんの物書きとしての出発点は、「映画ストーリー」という月刊誌の編集者でした。
彼女の本や特集号はずいぶんと読みました。その中でも、彼女の新鮮な才能を感じさせ、折々に読むのが『向田邦子・映画の手帖』。副題に「二十代の編集後記より」とあるように、新米編集者として「映画ストーリー」の編集に携わり、退社するまでの8年間、毎月の校了日直前の疲労と高揚を綴った短文が見事です。
たとえば昭和28年3月号。
「午前11時は、私にとって楽しいひとときです。音もなくドアが開いて、係の人が『はい、ラヴレター!』と一抱えの手紙の束を机に置いてゆく時刻だからです。
私は心わくわくと、ラヴレターならぬ愛読者の皆様のお便りを拝見するというわけ。お便りは北海道あり、九州あり、学生時代に地理のお点があまり香ばしくなかった私には、日本地図がすぐに浮かばない位、沢山の場所のお友達からのお便りです。
全部を掲載しようと思ったら『見知らぬ愛読者からの手紙』という特別付録を増刊しても足りない位。ボツばかりで張り合いがないというお便りもあって、私は毎月骨身をけずる思いをしています。」
商人にとってお客様からのお礼状が心躍るものであるように、編集者にとって読者からの手紙はどのような内容であれ、愛しく大切なもの。編集後記という限られた文字数をやりくりしながら、その喜びをけれんみなく素直に表現しています。
彼女はこんな言葉も遺しています。
「長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、言葉ではないのかな」
飛行機事故で不慮の死を遂げた彼女の生涯は、残念ながらけっして「長い人生」ではありませんでした。しかし、彼女の作品やエッセイは没後40年の今でも読む者に、読むに値する感動をもたらし、人々の記憶に鮮明にあり続けています。
あなたもぜひ言葉を大切にしてください。大切にするとは、読む人を思い、その人に役立とうとすること。こうした営みは、POPに記す短い言葉でも、チラシに載せるコピーでも、ダイレクトメールやニューズレターに書く文章でも同じです。
誰のために、何を、どのように、どんな思いを添えて……そんなことを今までより意識すること。そのくりかえしが、お客様に届く言葉を育てます。