2月如月は、私にとっては商業界ゼミナールの月でした。今日はその始まりと、再びの始まりについて書いてみます。
商業界ゼミナールは単に儲けの技術を教えるセミナーではありませんでした。その本質は商いの愛と真実を学び、明日の時流を知り、互いを磨きあう生涯の友と出会い、商人としてのあり方を学ぶところにあります。
1948年、敗戦の傷痕がまだいえない夏、商業界創立者・倉本長治と彼を慕う仲間たちは、一冊の雑誌を世に送り出しました。かつて私も編集に携わった「商業界」という月刊誌は、闇市で横行するお客の足下を見た不道徳な商いを憂い、生活者の日々の暮らしの幸せに役立つ商人を育て、商業者に誇りある商売を伝えようという高い志を抱いて誕生したのでした。
しかし、売れません。発行するたびに小さな事務所には返品の山が築かれました。それもそのはず、食べるのに懸命な商人に本を読む余裕などありません。巷には、3合呑めばつぶれる粗悪な合成酒「カストリ」にたとえ、3号出せばつぶれる「カストリ雑誌」があふれる時代でもありました。
商人にどうしても伝えたい大切なことがある――そうした情熱にたぎる倉本は、本を読んでくれないならば、顔を合わせて寝食を共にして直接伝えようと考えました。
1951年2月、閑散期の箱根で温泉宿を借りて、はじめての商業界ゼミナールが開催されました。参加者はおよそ百余名。以来69年、88回にわたって商業界ゼミナールは続けられました。
ある人は「商人の道場」と言います。ある人は「生涯の友と出会う場」と言います。その捉え方はさまざまであり、それが商業界ゼミナールの特徴でした。
ただ、これだけは言えます。仮に商業界ゼミナールがなかったならば、今日の日本商業の発展はもう少し遅れたと断言できます。日本の流通業の革新、それは商業界ゼミナールから始まったのです。
寝食を共にして学ぶ
1951年2月19日から4泊5日にわたって開催された第1回商業界ゼミナール、正しくは「商店経営研究会」という名称でスタートしました。箱根の旅館「一の湯」、東京・目黒の雅叙園を学びの宿に、参加費は3800円。商業界創立者・倉本長治をはじめ、5人の講師が寝食を共にして語らいました。その反響はすさまじいもので、当時の雑誌「商業界」に掲載された参加者の声を紹介しましょう。
「5日間の講習は10年以上の就業した以上の成果がある」
「早朝より深夜3時、4時に及ぶ諸先生の講義が胸を打った」
「全国有数の熱心な商人が集い、相互探求の同志を得た」
「全国の商人すべてに聞かせたい」
こうして始まった商業界ゼミナールは、その後の日本商業の発展に重要な役割を果たしました。スーパーマーケットなど新しい業態の普及、チェーンストアづくりによる商業の産業化、そして小さくても地域に欠かせない地域密着店など、それぞれの商人が自らの道を進むための道筋を示していったのです。
商人の友情のるつぼ
倉本は、商業界ゼミナールについて、こんな一文を遺しています。
「わがゼミナールは友情と創意とが交換される広場のごときものである。実に商業界ゼミナールは友情のるつぼ。人間に与えられた造物主の賜物のうち、われらは友情こそ最大のものと信じたい。君の友人の中に、君の協同者たちと無数のお客たちをも加えようではないか――。まことにわがゼミナールとは、愛することと信ずることを身につけた商人が、たくましくも育つ聖なる道場のことである」
2020年、株式会社商業界の倒産に伴い、次回の計画はまだ決まっていません。しかし、ここまで振り返ったように、商業界ゼミナールは一株式会社の一事業という枠を超え、多くの商業者の心のよりどころとして大きな役割を果たしてきたのです。
倉本長治主幹なら、いま何をされるでしょうか。今日はそんなことを考えていました。