「正しいことをやるのに、理由はいりません」と即答したのは、魚町商店街振興組合理事長の梯(かけはし)輝元さん。「なぜ取り組んだのか?」と質問すると、穏やかに答えてくれました。
江戸時代から続く魚河岸を起源とする魚町は、北九州市随一の繁華街。JR小倉駅から市民の台所としてにぎわう旦過市場まで、南北へ約400m続く魚町銀天街には約160のさまざまな店が軒を連ねています。
昭和40年代後半のピーク時には歩行者通行量およそ3万9000人を数え、歩くにも肩と肩が触れ合うようなにぎわいを誇りました。しかし、その後、郊外などへの大型店の出店が続くと通行量は1万人ほどに減少し、空き店舗が目立つようになっていきました。
商いの本質は変化対応にある
梯さんは商店街で金物店を営む商家に生まれ育ち、魚町の盛衰を見続けてきました。その後、不動産業へと転換した家業を継いだ彼は、既存の不動産を生かしたリノベーションによるまちづくりに取り組みます。
自社物件ビルでのクリエイターや商店主の活動拠点となる「メルカート三番街」事業をはじめ、新しい事業者がチャレンジできる場を街の中に取り戻していったです。そして、「リノベーションまちづくりを学ぶならば発祥の地、小倉魚町」が、全国で同じ課題に向き合う商人たちの共通認識となり、銀天街にも徐々に人の流れが戻りかけてきた矢先、状況は暗転しました。
2020年春先から続くコロナ禍です。通行量は1万人台と、振り出しに戻ってしまいました。「商いの本質は変化対応業。時代の変化に合わせて、暮らしのニーズに寄り添って変わっていくのが商店街の役割です。だから、いかなる変化にも私たちは屈しません」と梯さんは挫けませんでした。
では、そう語る梯さんが「正しいこと」のために取り組んだことは何だったのでしょうか。それは地球に生きる人類全体の未来にかかわる国際目標。2015年9月の国連サミットで採択された、2030年までに持続可能でより良い世界を目指し、17のゴールと169のターゲットから構成されているSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)でした。
普段の商いで取り組むSDGs
さかのぼること3年前、2018年4月に北九州市がOECD(経済協力開発機構)からアジア地域で初めてのSDGs推進モデル都市に選ばれました。それを受けて魚町銀天街は、同年8月に「SDGs商店街」を宣言、活動を開始しました。17のゴールの4番目「質の高い教育をみんなに」と11番目「住み続けられるまちづくりを」を中心に、すべての目標に取り組んでいます。
たとえば、ある店では廃棄野菜の減少を目指して市場流通から外れるものの鮮度の良い規格外野菜を販売し、ある店では賞味期限間近の食品を仕入れてお値打ちで販売することで売上げを伸ばす店も現れています。また、環境保全の観点から竹を活用した商品開発が行われ、また茶舗では出がらしの茶葉をおいしく食べる専用ポン酢が商品化されています。
このように、普段の商いの中でSDGsが取り組まれています。SDGs商店街宣言を機に、それぞれの商店主が持つ街や地域の将来への問題意識が芽生え、その解決のために「自分に何ができるか」と意識が変わり、活動が変わり始めているのです。
「商店街は、単に物を売ったり買ったりするだけの場ではありません。地域やコミュニティの再生と活性化のために役立ちたい。そうすれば、にぎわいは取り戻せる」と梯さん。この取り組みを通じて次代を担うリーダーも育っているといいます。
数年後には、近隣の商業施設で大幅増床が予定されていますが、梯さんの未来を見据えての活動に揺るぎはありません。物の売り買いの中にあって、物の売り買いを超えた価値を添えてこそ、店や企業は存在を許され、継続的に繁盛できる時代を迎えていることを、魚町銀天街は教えてくれます。