笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

42年前のこの日、東京の天候は記録によると最低気温マイナス0.3度、最高気温5.6度、快晴。1982年1月29日、商業界創立者、倉本長治がこの世を後にしたのはそんな日の午前のことでした。

 

昭和の石田梅岩、日本商人の父――こう言われた倉本長治が今日の商業を見たら、どんな感想を漏らすことでしょうか。そのときの価値軸は一つです。

 

――店は客のためにあるか、ないか。

 

あなたの商いにあてはめて、それをもう一度考える日としていただければ幸いです。拙著『店は客のためにあり店員とともに栄え店主とともに滅びる』は、倉本長治の思想を未来につなげようと試みた一冊です。

 

 

次の文章は、この言葉のとおり倉本長治の遺志を継いで日本の商業を見守り続けた、長男の倉本初夫による弔辞です。そのバトンを受け継ぐ者の一人として、私も誓います。

 

雪のちらついた冷たい朝
よく晴れた空に
白い富士がひときわ美しかった

 

その日――
一月二十九日午前十時四十分
商業界主幹・倉本長治
安らかに去る

 

日本の商業のあけぼのに
先駆けてはるかなロマンを掲げ
正しさのためには
厳然としてその主張をまげず
はたまた店は客のためにと
商人の真の姿を説きつづけた
人の世の悩みに共に苦しみ
人の世の哀しみを共に耐え
人の世の歓びを共にわかって
その生涯を
こよなく商人への愛に生きた
偉大な指導者・倉本長治先生
ここに逝く

 

ときに父の如く峻烈の声ではげまし
ときにまた母の如き慈愛の眼をそそぐ
その声で
その眼で
いくたりの商人が救われたことか
どれだけの店々がよみがえったことか
町に明るく光がともり
さんざめく人波が流れゆく
その陰にひとり心くだいた

 

倉本長治先生
ご苦労おかけしました
有難うございました
心からご冥福を祈ります

 

――ゼミナールの友よ
さようなら
多くの同友の諸君
さようなら
日本の
世界の
私が心から愛し続けた
すべてのすばらしい商人たちよ
さようなら
青く高く澄みわたる冬の空の彼方へ
その声は次第に遠ざかってゆく

 

いま転換のゆらぎきびしく
絶え間なきいさかいの巷に
とこしえの商いの道を説きつづけた
主幹の遺志をうけついで
私たちは進もう
いまひとたび決意を新たに
知恵と力を合わせ
損得を越えて
かわらぬ人間の愛と真実の道を
いつまでもどこまで
主幹と共に歩むことを誓おう

 

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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