得とは誰にとってのものでしょうか。
第一に、お客様自身の自分だけにとって得かどうかです。
第二に、お客様が大切にする相手にとっても得かどうかです。
第三は、お客様も大切な人も含む社会全体にとって得かどうかです。
私たちの商いの役割は、一を二へ、二を三へと高めていくところにあります。一より二、二より三へと誘うとき、お客様のあなたの店での生涯購入金額は上がるでしょう。「いやいや、商売はそんなきれいごとじゃ成り立たない」とあなたは言うかもしれません。
この中に、商売で財を成した人もきっといるでしょう。しかし、人生がなんとなくむなしいと感じる朝はないでしょうか? 深夜に目覚めて、なにか敗北感にとらわれたような感じはしませんか?それはあなたが善いことをしたいと考えながらも、不十分だと考えているからです。
そういう反省のある人にこそ、悔いない商いの道は開かれます。従業員やお客様と一緒に手を取りあって喜び、肩を叩いて慰めあえていますか? 悔いなきまでに、愛と真実のある商売に徹しきれていると自分に言えますか? 儲けと引き換えに、なにか大切にすべきものをないがしろにしていませんか?
誤解しないでください、金が儲かることは別に罪悪ではありません。だた、その富を積むやり方に問題はないかと問うているのです。富を重ねる手段として商売を考える場合、人間は卑しくなります。人々の生活を豊かに、楽しく、平安にするために商売はあるからです。
一人ひとりのお客様からの報酬は、あなたへの一粒の感謝の種です。そうした信頼が積もり積もって富を成す場合のみ、それは本当の商人の富と言えます。商人にとって富は、目的ではなく結果であることを忘れてはなりません。
ならば、そう言うあなたは、きれいごとを極めた経験をお持ちなのでしょうか。