笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

2016年4月に起こった熊本地震では、多くの住民たちが大きな被害を受けました。多くの市民が家を失い、不便な生活を強いられている中、いち早く店を開け、暮らしを守ったのが地域に根づいて商い商人たちでした。彼らは何を考え、どのように動いたのでしょうか。

 

それでも店を開け続ける

 

4月14日夜9時26分、震度7の地震が発生した時、熊本で5店舗を展開する地元スーパー「スーパーみやはら」の橋本憲明さんは、市内の自宅で家族とともにくつろいでいたそうです。橋本さんは家族を近くの公園に避難させると、店長を務める東バイパス店へと急ぎました。

 

深夜11時ぐらいに店に到着すると、すでに4人のスタッフが駆けつけていました。商品が床に散乱し、足の踏み場もない状態でしたが、みな誰に支持されるわけでもなく復旧作業にあたり、翌15日の朝、何事もなかったかのように定刻どおり朝10時に店を開けました。

 

「こんなときこそ店を開けなければ」と橋本さんはそのときを振り返ります。地震だから営業できなくても仕方がないという考えはなかったのです。

 

しかし、それもつかの間、その深夜(16日1時25分)に、再び大地震が熊本を襲いました。橋本さんはおびえる家族を連れて午前3時ごろに店に着くと、同じように避難を兼ねて店にやって来た2人のスタッフと会うことができました。店内の惨状は14日の比ではなく、電気、水道、ガスのライフラインがすべてストップしていたのでした。

 

 

それでも店を開ける意思に変わりはありませんでした。スタッフとともに懐中電灯を持って店に入ると、水、カップラーメン、缶詰など、お客様に求められそうなものを運び出し、店の前に長机を並べ、朝8時半から販売を始めたのです。

 

お客様から注文を聞いて、運び出したばかりの商品の山から商品を取り出し手渡していきます。電気がないためレジは使えません。電卓で計算する必要があったため端数を切り捨て、50円、100円など簡単な価格にして販売しました。

 

17日、18日も同じように店頭販売を続けたところ、店の周りを囲むように列が伸びていきました。ほとんどの店はまだ営業を再開できずにいたのです。

 

19日には電気が回復、売場を階下の駐車場に移すことにしました。屋内の駐車場なので店頭と比べ広くスペースを使え、雨もしのげます。商品をあちこちに積み上げたり、カーゴ車を利用したりして、店内と同じような“売場”をつくりました。電卓での計算は続いたが、お客様にとってはずっと買いやすくなりました。

 

店はお客様の為にある

 

21日には階上の売場にあった冷蔵ケースを駐車場に下ろし、冷蔵品をはじめ肉、魚の販売も再開。青果はすでに販売しており、これで生鮮三品が揃いました。27日には水道が回復し、厨房での作業が可能になると、同店の目玉である「250円弁当」をつくりはじめました。

 

「毎日毎日、昨日よりも今日は少しだけでもお客様のためになることをやろうと続けていきました」とは同社の宮原るみ社長(当時常務)。「店はお客様の為にある――これが当社の社訓です。だから、こんなこときこそ店は開かねばなりません」。

 

 

この言葉のとおり、各店の店長やスタッフたちは自分の家の収拾もつかないうちに店に駆けつけ、一刻も早く店を開けようとしました。そして事実、地域で一番早く店を開けたのです。事業は社会にどう役立っているのかを、建前やポーズではなく、全スタッフがふだんから真剣に考え、取り組む姿勢があってこそ成しえたことでしょう。

 

「『まだどこも閉まっているのに、開けてくれてありがとう』というお客様の言葉が今でもはっきり記憶に残っています。それが一番嬉しいですね」と、橋本さんはお客様の声に胸を熱くした。

 

いかなるときでも地域の生活を守る――店にはそんな崇高な役割があります。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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