本格的なベーグルを食べたのは、初めて訪れたニューヨークでのことでした。たしかスモークサーモンとスライスオニオンがサンドされたものでしたが、スーパーマーケットのイートインコーナーで、おいしさに夢中になってほおばったことを覚えています。
そのときの感激を思い出すようなベーグルが日本にもあります。川崎市多摩区にある小さな店「ベーグルカンパニー」は旬と笑顔のあふれる店です。
厳選素材を丁寧に手づくり
店主の茶野佐知子さんは、日本を代表する航空会社で活躍した元キャビンアテンダント。「フライト先のニューヨークで食べたベーグルのおいしさが創業のきっかけの一つ」という彼女は、幼い頃からお菓子づくりが好きな少女でした。
航空会社での仕事は充実していましたが、大企業のワンピースとしてではなく、たとえ小さな存在でももっと主体的に、関わる人たちを笑顔にしたいと起業を決意。退職翌日にはベテラン職人たちが腕を磨くために通う本格的な製パン学校に飛び込みました。
彼我の技術レベルの違いにも諦めずに研鑽を重ね、他店での修業を経て開業したのは2008年5月。途中幾度かくじけそうになったと彼女は振り返りますが、そのたびにご主人に励まされ、ようやく小さな店は開業しました。
大切にしたのは素材と手づくり。彼女は自身のホームページで次のように語っています。
「ベーグルカンパニーの味の決め手は“引き算”。素材のおいしさ、風味を引き出したいから、必要最小限の素材だけでつくっています。だから基本のプレーンベーグルの生地は、北海道産小麦、天然酵母、きび砂糖、天然塩、水だけのシンプルな材料でつくられています。具材ももちろんつくれるものはすべて手づくりです。もちもちの食感になるように生地の声に耳を傾け、最後の瞬間まで手をかけます。“おいしい”を創るために、毎日丁寧に、真剣につくっています」
このように基本の原材料はすべて厳選した国産。レモン、みかん、きんかん、あんずなどは、地元にある実家で栽培する無農薬ものを使用し、そのほかの農産物も多くが顔の見える生産者が手がける地元産の旬のものを生かしています。
削り節とのコラボレーション
店の奥の調理場からは、スタッフさんたちのハキハキとした声が聞こえてきます。手づくりだから、その工程の手数は必然的に増え、簡単ではありません。しかし、皆さん元気がいい。たとえるなら、地区大会上位進出を目指す女子高運動部のような団結と明るさがあります。
だから、訪れるお客さんもみんな笑顔。本当においしいものを前にして不機嫌な人はいないし、笑顔は相手を笑顔にします。
品揃えは定番商品と季節商品が半々ずつで、常時20品目ほど。その他にも季節を感じさせる焼き菓子が売場に彩りを添えています。定番商品の味の確かさはもちろん、オリジナリティあふれる季節商品もベーグルカンパニーの魅力です。
最近では、国内最高峰の証である天皇杯を受賞した西尾商店(静岡市)のいわしの削り節を原料としたベーグルが店頭を飾りました。きっかけは、あるセミナーでの出会いにあるといいます。
「ある年の2月に、商業界ゼミナールという商人の勉強会に参加したところ、静岡の和食蕎麦屋の店長さんと親しくなりました。その後、会うことはなかったのですがフェイスブックでつながっていたので、当店の日々の奮闘ぶりを見ていてくれたようです。そして、『自分の知り合いに日本一の削り節屋がいる。ベーグルの素材としてどうかな?』と連絡をくれたことがきっかけでした」
小才は、縁に出合って縁に気づかず
中才は、縁に気づいて縁を生かさず
大才は、袖すり合った縁をも生かす
これは徳川将軍家の兵法指南役、柳生宗矩のものとして知られる「縁」の大切さを示す言葉。茶野さんはまさにこの言葉どおりの商人です。