笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

「人、技術、信用――この津波で、あんたが失ったものはあったか?」

 

2011年3月11日に東北地方太平洋沿岸に壊滅的な被害をもたらした東日本大震災。その数日後、気仙沼で海産物製造販売業を営む「斉吉商店」の斉藤和枝さんは、日ごろから助言を受け、信頼を寄せている商友と被災後初めて会ったとき、真っ先にこう言われたそうです。

 

待っているお客様のために

 

本店、自宅、3億円を借り入れて新築したばかりの工場を津波が持って行ってしまいました。残ったのは築50年以上建つ倉庫兼旧宅のみ。途方に暮れていた斉藤さんは、商友の問いかけで考え直しました。

 

家族、そして従業員は奇跡的に全員無事でした。同店の看板商品、地元の特産品のさんま佃煮「金のさんま」の味の決め手であり、20年以上にわたって継ぎ足しながら使い続けてきた返しだれも、従業員が必死な思いで持ち出し、津波で一度は流されながらも残っています。

 

 

そして、信用。被災後ずいぶん経ってから、和枝さんが初めてEメールの受信履歴を確認したところ、安否を気遣う言葉、再び金のさんまの製造を願う励ましが全国のお客様から、それこそ名も知らない多くのファンから寄せられていたのです。

 

「何も失ってなかったんですね。私たちより、ひどい被害を受けた方々でも、再起に向けて頑張ろうとしている。私たちには、待っていてくださるお客様がいるのだから、泣いていてもしょうがない。やるしかありません」と和枝さんは決意しました。

 

「待っていてくださるお客様のために、そして命を掛けて返しだれを守ってくれた従業員のため、私は商売を続けます。そして、金のさんまをつくって、お客様にお届けします」

 

夫であり、社長の純夫さんと、工場跡や従業員の安否を確認するため、瓦礫に足をとられないよう歩きました。二人で歩くのは久しぶりでした。歩きながら、これからのことを話し合います。二人の出した結論は、一刻も早い製造再開。物置代わりに使っていた旧宅に仮事務所を据え、ここから和枝さんの挑戦が始まったのです。。

 

この道を行く

 

それからは決意した一本道を突き進みました。共に商いを学ぶ全国の商業界同友会の商友たちからの支援、一人ひとりの支援をベースにした小額投資ファンド「セキュリテ被災地応援ファンド」による融資、被災地支援に社を挙げて取り組む糸井重里さんとの出会いなど、さまざまな絆が斉吉商店を中心につむがれていきました。

 

 

そして、取引先の工場を借り、被災後112日ぶり、7月2日に金のさんまの製造再開を果たします。8月6日には販売も再開し、9月7日には都内百貨店での催事に再び出展しました。

 

「多くのお客様が『お帰りなさい』と声をかけてくださるのです。『よく頑張りましたね』とお母さんのような言葉をかけてくださる方もたくさんおいでになりました。本当に幸せなことです」(和枝さん)

 

現在では、新工場・店舗を新設稼働。船が行き交い、沖からの潮風が吹く、地元の人はその特徴的な形状から「鼎浦」と呼ぶ気仙沼湾を望む丘の上に立つ本店「鼎・斉吉」では、地元で水揚げされる新鮮な魚と地元で採れた野菜を中心に、斉吉独自の「さんま節の合わせだし」をたっぷり使った料理を振る舞います。湾を見おろす景色もごちそうです。また、自社商品と斉吉商店がお勧めする東北の地域産品が人気を呼んでいます。

 

しかし、これからの道のりも決して平たんではありません。主力商品の原料であるさんまの漁獲高の減少、コロナ禍による百貨店催事販売の中止など危機は途切れません。

 

「それはわかってます。けれど、商売は楽しい。昔自宅に掛けられていた武者小路実篤さんの詩をよく思い出すんです。あっ、私の思いとぴったりだって」

 

この道より我を生かす道はなし、この道を行く――。あれから10年、コロナ禍に向き合う多くの商人たちに、この言葉を贈ります。

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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