昨朝、出張先のホテルのカーテンを開けると、虹が空一面に架かっていました。虹を見つけると、いつも思い出すのが「虹の端には金の壺が埋まっている」というイギリスの俗言。昨日もしばらく飽きることなく虹を眺め、端にあるという金の壺を思いました。
忙中閑あり。忙しい中にも、こうした時間を大切にしたいですね。そういえば、「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。漢字ってすごいなあ、
昨夜のお酒を抜こうと、ホテルの浴場で湯船に漬かります。すると昨夜の会話の中で話題になった一片の詩を思い出しました。思い出せなかった題名が降りてきたのです。こんな詩です。
三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴し、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでゐる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯ういふところ好きでせう。
高村光太郎さんの晩年の作「案内」です。愛する人、智恵子に先立たれ、彼女を思いながら詠んだ素朴な詩です。今も、智恵子が生きているかのように語りかける、
特に凝った言い回しも、
あなたが何か商品の価値を伝えるときも同じです。伝えたい人、そして伝えたいことをぎりぎりまで絞り込みましょう。誰でもいいからと広く、薄く伝える時代は終わりました。小さく、狭く、深く、濃くです。