「倉本長治さんのことを教えてください」
そう言われたのは、強い雨が降る夜、新宿の裏通りにある居酒屋でのことでした。テーブルの挟んで座っているのは、一人が旧知のコンサルタントかつ大学講師のTさん、もう一人は彼の教え子であり、冒頭の発言の主、K君でした。
K君は大学時代を通じてスーパーマーケットでアルバイトをしているうちに、その仕事の面白さとやりがいに目覚め、スーパーマーケットへの就職を希望、晴れて首都圏に展開するあるチェーンへの就職が決まったばかりとのこと。
「急に倉本長治さんのことを教えてほしいと相談されまして、それならばとお声掛けさせていただいたというわけです」というTさんは、スーパーマーケットへの就職祝い代わりに「今のうちにこれを読んでおきなさい」と、日本の商業経営コンサルタントの第一人者、故・渥美俊一さんの著作をK君に渡したそうです。K君はそれを熱心に読み進める過程で、渥美さんが師と仰いでいた存在として倉本長治に出合いました。
倉本は多くの著書を遺していますが、その一つに『商店経営の技術と精神』があります。そして、渥美さんにも『商業経営の精神と技術』という、よく似た書名の著書があります。
私が「商業界」編集者として駆け出しのころに話は遡ります。毎月、渥美さんの事務所を編集長とともに訪ね、渥美さんの発言を漏らさずメモにとり、記事としてまとめるという仕事していました。いわば取材という名の個人授業を受けていたようなものです。そのとき裏表紙にサインしていただいた『精神と技術』は、今も私の大切な蔵書の一つです。
倉本の『技術と精神』を読んだのは、その後のことでした。渥美さんから倉本に至る——私もT君と同じ道をたどっていたのです。
ともに、戦後日本の多くの商業者の生き方に影響を与えた名著ですが、その書名に微細ながら違いがあります。技術と精神、精神と技術——技術が先か、精神が先か。どちらも大切です。
「眼高低手」という四字熟語があります。本来は、「理想は高いものの実力が伴わない」という意味で、「眼高くして手低し」と訓読します。
しかし私は、日々の実務という「低」い現場の中で、自分の「手」を使って“技術”を身につけていけば、やがて「高」い“精神”が養われ、未来を見通す「目」を持つことができる——と解釈しています。ついつい実務をないがしろにしようとする自分自身への諫めとしている言葉でもあります。
これをK君に贈ります。そして、皆さんへも。