笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

日本の敗戦により、国土は荒廃し、街にはまだ砲火の残り火が立ち込めていたころ、若き商人たちは、国民の消費生活に欠くことのできない物資を探し求めて全国を渡り歩く日々が続いていました。「店」とは名ばかりの焼け跡に建てられた手づくりの小屋に、ようやく掻き集めてきた物品を並べて、これを代価に換えることから戦後の商売が始まりました。

 

のちに商業界創立者となる男、倉本長治はそういう時代から日本を駆け巡って、闇取引の根絶を叫び、今こそ商人が将来の社会的信用確保のために立つべきときだと説いて歩いていました。雪深い北国ではゴム長靴を借りて、一軒また一軒と店主と懇談して歩いたそうです。「先の見えない暗い環境でも、主幹の話だけには闇がなかった」と当時を知る商人は言います。

 

しかし、それは苦しい困難の道でした。当時は、各地の市役所も商工会議所も、商店の常道化などを顧みる余裕がなかったし、そういう運動のための費用も持っていませんでした。一宿一飯だけという条件でも、今後の商人の在り方を説く講演は体よく拒否されて、倉本はさびれた乗り換えの小さな駅で空しく一夜を明かすことさえもありました。それでも倉本はその後も全国を隅々まで回り、教導し、日本の商店の再建に努めたのでした。

 

その情熱に動かされた友人たちが雑誌「商業界」発刊を支援しました。友情、それが商業界誕生の真実です。その後も1円の蓄えもない倉本の啓蒙講演は続き、1951年2月に初めて「第1回商業界ゼミナール」が箱根で開かれました。集まったのは全国から130人ほどの商人たちでした。

 

こうして始まった商業界ゼミナールはその後、日本の革新的商人の歳時記的行事となり、一年のけじめの一つとなり、そしてまた毎年必ず繰り返して参加する結集点となりました。日本の社会環境も、流通業界も激しく移り変わりを見せましたが、商業界ゼミナールは草創期の思想を内に秘めながら、時代を先駆けする商業者にも、地域に奉仕する商業者にも、等しく強烈な拠りどころとして信頼を受け続けたのです。

 

その歴史が中断したのは2020年。その3月の商業界倒産により、歩みは87回で止まっています。しかし、いまも各地で商業界ゼミナール同友による学びは続けられ、その精神は継承されています。その火種を守り、繋いでいく。私の役割の一つはそこにあります。

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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