この店の2階売り場に上がる階段は急である。多くの店の場合、空中階は地上階よりも来店客数は少なく、行き届かない売り場が増える。しかし、この店、そこには上がる価値ある商品が揃えられている。
たとえば、日本人の1割に満たない左利きの人のための品揃え、しゃもじ、キッチンはさみ、おたま、缶切り、フライ返し……。ここまで本気で左利き専用を揃える店を、寡聞にして知らない。“超”がつくほどの専門店「飯田屋」の真骨頂である。
階段を上がる価値はほかにもある。上がりきったところの壁に飾られた10架の小さな額。そこにはそれぞれ子どもの写真が飾られている。白黒色もあればカラー写真もあるが、どれもセピア色をした昔のものだ。
写真の上にはこう記されている。それを読むと、額を飾る意味がわかる。
「可愛いですね~。
この頃はまだ飯田屋で一緒に働くことになるとは思ってない時ですね~。このあと、私たちは大人になって飯田屋で集合します。人生で大切な時を一緒に過ごし、あーでもないこーでもない、あーしよー!こーしよー!と働いています。
こんな可愛かった頃があったことを知ると、ますます仲間を大切にしたくなります。皆んなの人生が毎日ニコニコしていられるように助け合いたくなります。
そんなこんなですが、これあらもどうぞ飯田屋と飯田屋スタッフをよろしくお願いします。」
商人のいちばんの幸福は良い店員と働くことである。良い店員を育てるには何の秘訣もいらない。店員もまた自分と同じく、幼い頃があり、間違うことのある人間だと知ればよい。
従業員とは、店を裏側まで知り尽くす最も大切なお客様のことである。良い店員は良い店主の元に生まれ、良い店主は正しい志の元に生まれる。
店員を褒め叱ることに巧みであるよりも、店員とともに喜び、ともに泣ける店主でありたい。どんなに立派な待遇よりも、その店員を人として心から尊敬するほうが、店員はその能力を発揮する。
飯田屋で出合った写真を見ながら、こんなことを考えた。店は客ためにあり、店員とともに栄え、店主とともに滅びる、のだ。