バイブルにも
論語にも
商売のやり方は書いてない
だが
商売人に
一番大切な本が
そのバイブルと
論語なのだ
商いのあり方を探求し、多くの書物にあたり、現場に足を運び、多くを語り、多くの著作を遺した男がたどり着いた結論がこの一文でした。男は商業界創立者、倉本長治。彼が『論語』を読み解き、商いのもっとも大切なあり方として重んじた言葉があります。
恕――「じょ」と読み、和語では「おもいやり」ということ言葉です。2500年前のこと中国の思想家・教育者、孔子の『論語』にはこうあります。
「弟子の子貢が『ごく短い言葉で、生涯、座右の銘にすべきものはありませんか』と尋ねたところ、孔子は『それは恕だ。自分がされたら嫌だと思うことは、人にしてはいけない』と答えた」
同じ意味を持つのが、『新約聖書』マタイの福音書にあるキリストの黄金律です。「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。それが律法であり、預言者です」。
倉本は孔子やキリストの遺した「おもいやり」こそ、商人の心としたのです。箱根の古刹、早雲寺に眠る倉本の墓標の近くに、「恕」と刻まれた石碑があります。倉本を慕う商人たちの発案によって建てられたものです。
では、誰をおもいやるのでしょうか? 自分以外の誰か? もちろんそれもありますが、その前におもいやるべき対象は自分自身ではないでしょうか。
つまり、自分を励まし、自分を信じて磨くことです。己の充実があってこそ、他者をより濃く、より深くおもいやれるのです。自分をきちんとする――まずはここから始めようと、誕生日前日に思いました。