笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

「ああ、これだ! これをこちらで食べてもいいでしょうか?」

 

京都で10代続く老舗菓子店の女将から聞いた話です。店頭でこう叫んだのは、老夫婦のご主人のほうでした。出されたお茶でひと息つくと、彼はゆっくりと話しはじめたそうです。その手許には、同店の定番商品、だるまの形をした最中が置かれていました。

 

「私は小学生のころ、この店の前を通学していた者です。通るたびに、売場の真ん中にあっただるま最中を眺めては食べたいと願っていました。けれど、こんな格式の高い店で、子どもの私が親に『買ってくれ』とも言えず、自分で買うこともできませんでした。

 

そのうち、だるまが私に『食べてみろ』と話しかけてくるような気がして、『今に見ていろ、おまえをおなかいっぱい食べてやるぞ』と思ったものでした。その後、家は京都を離れ各地を転々として苦労もしましたが、そのたびにだるまが心の中で笑うんです。『そんなことで泣いていたら、俺を食べられないぞ』と。

 

以来、人生の節目ごとにだるまに励まされてきました。定年退職して今は奈良に住んでいますが、ふとそのことを思い出して訪ねてきたのです。店の名前もわからず、記憶にある場所だけを頼りにたどり着いた私を、だるまは何十年も昔から待っていてくれたんです」

 

そして、最中を半分に割って奥様にも勧められ念願の最中を口にして涙を流しながら、『ああ、うまい』とひと言。持ちきれないほどの最中を抱き、店を後にしたそうです。

 

じつは、このだるま最中にはこれまでに何度か製造打ち切りの危機があった、と女将は言います。時代の流れとともに最中そのものがそれほどは売れなくなり、一方で専用包装資材の最低発注ロット数はけた違いに多く、さらに表示義務の内容が変わるたびにつくり直さなければならず、いつしか売場でも隅のほうにひっそりと置かれるように……。

 

「けれど、私たちの知らないところにだるま最中を楽しみにしていらっしゃるお客様がいるはず」と、つくり続けたそうです。「やめるのは簡単です。でも、同時にお客様の思い出は崩れ去ってしまう。涙をこぼして最中を召し上がっているお姿を見て、私たちの仕事とは、そのときどきの流行を追いかけることではなく、お客様の思い出も一緒に守っていくことだと気づかされました。それができるのが老舗です」と女将。

 

 

商業界創立者、倉本長治はその著『店主宝典』でこう記しています。売る者の幸福は、買う人の幸福をつくるという一事である――女将の話を訊いて、私はこの一文を思い出しました。さて、商人としてのあなたの幸福は、どんな形をしていますか? 今日はそのことを考えてみてください。

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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