お菓子の売れなかった日
1937年、後の「六花亭」店主、小田豊四郎は、体調不良の叔父から「帯広千秋庵」の経営を引き継ぎました。当時、帯広は人口が3万8000人余、戸数にすると6500戸ぐらいの小さなまち。それでいて豆やビートといった原材料に恵ま …
1937年、後の「六花亭」店主、小田豊四郎は、体調不良の叔父から「帯広千秋庵」の経営を引き継ぎました。当時、帯広は人口が3万8000人余、戸数にすると6500戸ぐらいの小さなまち。それでいて豆やビートといった原材料に恵ま …
父親の事業失敗、これが北海道を代表する菓子の名店「六花亭」創業者、小田豊四郎が菓子屋になるきっかけでした。薬学を志していた進学の道をあきらめ、叔母が嫁いだ札幌千秋庵に修業に入ったのは17歳の春のことです。豊四郎の自伝『一 …
銘菓と名菓。似た言葉だが、「銘菓」とは特定の店や特定の土地でしか味わえない菓子であり、「名菓」とは広く世に知られている銘菓をいう。東西南北に長いわが国には、その土地ごとにさまざまな銘菓がある。しかし、名菓と称されるものは …
「事業は人なりというが、この店をみると、その経営者のようにじつにみごとなのである」と、拙著『店は客のためにあり店員とともに栄え店主とともに滅びる』の主人公、倉本長治に言わしめたのは、北海道を代表する菓子店「六花亭」創業者 …
「事業は人なりというが、この店をみると、その経営者のようにじつにみごとなのである」 日本商人の父、倉本長治にこう言わしめたのは、北海道を代表する菓子店の一つ「六花亭」創業者の小田豊四郎でした。倉本は「この店 …
拝復。 「大きくなったらできません!」なんて言うなら、何の為にそうしたのか。今、ひとつの店が個人商店のごとくでなければと出直し中。 いいタイミングで著書を手にとりました。さいちさんの納豆おはぎには驚きました。しかし、何と …