良い絹織には、良い糸が要る。良い糸は良い蚕から紡がれる。良い蚕は良い桑の葉を食べて育つ。そして良い桑の葉は良い土によって育まれる。
幸は身を屈め、桑畑の土を一掴み、握って目の高さまで持ち上げた。この土が桑を育て、蚕を育て、糸を生み、波村の重みのある羽二重を生んだ。極上の絹織に必要なのは、この土なのだ。
商いでも同じではないか。
どれほど良い品が店の蔵にあっても、売る者がその値打ちを知らなければ、売りようがない。扱う品について熟知する売り手を育てることが大事なのだ。売り手を育てる土壌になるのが「店」ではないだろうか。ひとを育てる店であらねば、商いは育たない。
長い引用となりますが、ご容赦ください。この一文は髙田郁さんの小説『あきない世傳金と銀』第五巻の一節。江戸時代、大阪天満の呉服店「五鈴屋」を舞台とした商人の物語。主人公「幸」は女衆という商家の奥の奉公人の出身ながら、知識を知恵に昇華させて商いを改革していきます。ある人に薦められて、まだ途中までしか読めていませんが、ここまでで最も共感できたのが上記の引用です。
ひとを育てる店であらねば、商いは育たない——いかがでしょうか。店は客のためにあり、店は店員とともに栄えなければなりません。店とは店主そのもの。だから、店主が志を曲げたり、人の心をないがしろにしたとき、店は店主とともに滅びるのです。