私がこうして30年にわたって商人を応援してきたのは、ある先輩からの教えが大きく影響しています。その人物とは、2015年5月に享年76歳で他界された、流通ジャーナリストの緒方知行さんです。
1964年、ちょうど私が生まれた年に商業界に入社。以来50年にわたって編集者、記者として、緒方さんは日本の商業を見守り続けてきたジャーナリストです。
1982年に商業界から独立された緒方さんと職場を同じくすることはありませんでした。しかし、近くに事務所を構えた緒方さんをたびたび訪ねては、多くを教えていただきました。
初めて訪れたときには、ご自身も出版人としてお忙しい中、半日以上にわたって、商業の社会的役割の大きさ、そして商人を教え導いてきた商業界創立者、倉本長治の思想の革新性について語ってくださったことを今も鮮明に憶えています。この半日が私のその後の30年を決めたといってもいい出会いでした。
商業は人間業であり、“不”の解消業である——これが緒方さんの一貫した商業観でした。
「不」とは暮らしの豊かさを阻害する不満足、不満、不便、不足、不快、不備、不行き届き、不信、不安、不親切などであり、これらの不が解消されれば、すべて「価値」に変わります。不満は満足に、不快は快適に、不便は便利に、不行き届きは行き届く気遣い、気配りのあるサービスやお役立ちと言う価値に、不親切な親切に、不審な信頼に、不安を安心安全に、という価値なっていきます。
ただし、この「不」は徹底してお客様の立場、相手の立場、人間社会の視点、生活視点、市場視点に立たないかぎりは見えてきません。相手の抱く「不」はとことん相手の立場に立って初めてわかるものです。
そのためには鋭い感受性が必要です。人の痛みを我が痛みと感じ、「客の心を心とする」ことができるのは、人間的感受性、共感性という豊かな人間の心です。それゆえ緒方さんは、商業は人間業(ヒューマンビジネス)と断じたのでした。
今を生きる私がやれること、やるべきこと、そしてやりたいことをやっていく。それが故人の遺志を継ぐことになるよう努めていきます。