笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

死後もなお多くの人の心をあたたかくする夫婦商人の話をしましょう。

 

生活者への奉仕を目的に、個々の特徴を全体の力へ昇華させた革新的チェーンストア「ニチイ」創業者の西端行雄は「仏」と呼ばれた商人でした。西端さんと手を携えて真商道の道を歩んだ妻、春枝さんとともに、その功績は今も日本の小売業史に輝き続けています。

 

商業界創立者であり、「昭和の石田梅岩」と言われた倉本長治と西端夫妻との間柄は、正しい商いを極めんとする師弟であり、互いへの尊敬と信頼で結ばれた同志でした。倉本は西端夫妻を評して「その精神の美しいこと、信念から生まれる力の逞しいことは計り知れない」と書き残しています。

 

1972年5月のある深夜、大阪千日前の千日デパートで火災が起こりました。3階から出火すると2階から4階までを延焼し、人的被害は死者118人・負傷者81人にのぼります。鎮火までに約9時間を要し、戦後日本のビル火災として最大の惨事となりました。

 

火元はニチイが入居していた3階でした。しかし、そのとき売場では大家によって改装工事が行われており、出火原因は電気工事関係者の煙草の不始末と推測されました。とはいうものの、煙草を吸っていた関係者の動きが正確に判明していない中、裁判は長期化することが予想されていたのです。

 

するとニチイは裁判の判決を待たずに、遺族へ約4億円の見舞金を送りました。死者の多くは階上で営業していたキャバレーの従業員や客であり、ホステスには幼子を抱える女性もいれば、客には一家を支える大黒柱もいたからです。

 

「西端という人は自分の側に過ちらしきものが少しでもあってはならぬとするが、他人のためにはどこまでも常に思いやりが深かった。自分については何ごとも極めて厳格であった。万事について、そんな人柄であった」とも倉本は書き残しています。

 

 

そのニチイは西端さんの死後、後任の経営陣によってマイカルと社名が変えられ、脱スーパー路線へと業態転換。しかし、大きく広げすぎた風呂敷を畳みきれず、2001年には経営破綻。小売流通業では戦後最大の倒産劇となりました。

 

そんなマイカルに支援を表明したのがライバルのイオンでした。マイカルは「ハトヤ」、イオンは「岡田屋」と名乗り、それぞれ小さな店の店主の頃から西端さんと共に学びあい、競いあってきたイオン創業者、岡田卓也さんの決断です。

 

イオン社内にも異論があったことは想像に難くありませんが、岡田さんはある一つのことを確認すると、「それならばマイカルは大丈夫だ」と社内の異論を抑えたといいます。「ある一つのこと」とは、西端夫妻がハトヤの頃から朝礼・終礼のたびに社員と唱和してきた次に掲げる「誓いの詞」でした。

 

人の心の美しさを
商いの道に生かして
ただ一筋に
お客さまの生活を守り
お客さまの生活を豊かにすることを
わが社の誇りと喜びとし
日々の生活に精進いたします(合掌)

 

この詞がマイカルに受け継がれている事実に、岡田さんは西端さんの志が健在であることを認めたのでした。死後も人の記憶に生き続けるとはこういうことです。慈愛真実の商人、西端夫妻の物語でした。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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