商業界ゼミナール草創期の名講演家であり、商業界創業者・倉本長治を支えた新保民八。講演中に檄して聴衆に椅子を振り上げたという逸話もあるほど、その熱く激しい講演は全国の商業者の熱狂的な支持を得て、戦後の商業近代化運動の精神的な牽引車となりました。
彼が講演の最後に決まって発した言葉があります。
正しきに
よりて滅びる
店あらば
滅びてもよし
断じて滅びず
「いやいや、正しくたって潰れる店はある」と突っ込まれそうです。そのとおりで、私も30年近くに及ぶ取材経験を通じて、そうした事例にたびたび出遭ったものです。そして株式会社商業界も同じ轍を踏みました。3年前の春、破産を申請、この言葉を裏切る結果となりました。
しかし、じつは新保のメッセージには続きがあることをご存じでしょうか。私にはこちらこそ新保が皆に伝えたかった真意ではないかと思うのです。前半の文章があまりにも決まりすぎていて、続く文章の印象がかすれてしまったのだとしたら、名コピーライターとしても知られた新保には稀な失敗作と言えます。
それは次の文章です。
古くして古きもの滅び
新しくして新しきものまた滅ぶ
古くして新しきもののみ
永遠にして不滅
何が古いのでしょうか? 何が新しいのでしょうか? 前半のそれらは理念や思想の熟成度であり、経営や事業の“在り方”を指します。後半のそれらはビジネスモデルや経営手法であり、経営や事業の“やり方”を指します。
つまり、いくら理念や思想の在り方が成熟していようと、ビジネスモデルや経営手法といったやり方が革新性を失えば、店は滅びると新保は指摘しています。また、経営手法ややり方といったやり方が革新的だとしても、理念や思想といった在り方が未成熟であるとき、やはり店は滅びるのです。
唯一、永遠にして不滅たりうるのは、革新的な経営手法、時代のニーズをとらえたやり方に裏打ちされた思想や在り方、つまり“正しさ”であるというのが新保の真意であったのではないでしょうか。その意味で、株式会社商業界は「古くして古きもの」の必然として滅びたのでしょう。
読者、お取引先に多くのご迷惑をかけながら、こうした評論家めいた分析をするのが私の本意ではありませんし、私の役割でもありません。ただ、これだけは今日の日に記しておきたいと思います。商業界という「事業体」は経年劣化を果たし、社会的使命を終えました。しかし、商業界という「精神」は永遠にして不滅だと。
私は商業界という思想に育てられた人間です。そしてその名の下で4000人を超える商人の方々とご縁をいただきました。それを考えたとき、私がこれからやれること、やるべきこと、やりたいこと、これら三つの「や」に関連することは明らかです。それを思うとき、私は何も失っていないし、私は何も変わっていません。だからこそ、私は変わらなければならない。3年前のできごとを忘れないために、今日は書かせてもらいました。