元旦の朝。まだ薄暗い窓の向こうに、静かな新年の空気が漂っています。こたつには家族が集まり、ゆっくりと重箱のふたが開かれました。海老の紅や黒豆の艶、昆布巻きの黒。その一つひとつが、家族の一年を寿ぎ、健康を願う大切な品々です。笑い合う家族の姿を見れば、おせち料理が単なる食事ではなく、“しあわせの象徴”として人々の心をつなぐ存在であることがわかります。
しかし、このあたたかな食卓を支える裏側では、静かな変化が進んでいます。帝国データバンクの調査によれば、2026年のおせち(三段重・3〜4人前)の平均価格は29,098円。前年より1,054円の上昇で、ついに“3万円の壁”が迫りつつあります。原材料、資材、人件費など、あらゆるコストが積み重なり、「企業努力で吸収する」だけでは成り立たない時代へと移行しつつあるのです。
迫る“3万円の壁”
物価上昇という言葉だけでは語り切れない現実が、2026年には広がっています。特に大きな負担となっているのが、イクラや数の子をはじめとした魚卵類の高騰や、卵・黒豆といった主要食材の不作、そして重箱・化粧箱など資材費の値上がりです。配送費や人件費も上昇し、総合的な負担は増す一方です。
しかし一方で、すべての食材が同じように値上がりしているわけではありません。サーモンやマグロなど、一部では価格の高騰が落ち着きつつあるものもあります。“全部値上がりしている”のではなく、“品目ごとに負担が違う”。これが2026年物価の本質です。
だからこそ商人は、おせちというひとつの商品であっても、中にある一品一品の背景を丁寧に理解し、価格設定に反映する必要があります。お客様の納得を得るには、その複雑さへの誠実な姿勢が欠かせません。
そして、この物価のバラつきは、お客様の心の動きにも影響を与えています。クックパッドの調査では「おせち予算は1万5,000円以内にしたい」という層が半数以上を占め、節約志向が際立っています。
ところが同時に、楽天の調査では「味の良さ」や「家族で食卓を囲む時間」を重視する声が圧倒的であり、特別な日の食事への期待は依然として高い。家計を守りたい気持ちと、正月を彩りたい気持ちが家庭の中で同時に存在しているのが、いまの日本の姿なのです。

価格の意味を語る
こうした“揺れる気持ち”に応えるために欠かせないのが、価格の背景にある「意味」を語ることです。単に値段を提示するのではなく、その価格が生む体験や価値を、お客様にしっかり伝えること。それこそが価格競争から抜け出す唯一の道です。
たとえば1万円台のおせちは、小人数の家庭に寄り添う「静かなお正月を穏やかに迎えるための膳」として位置づけられます。2万円台は、家族みんなで囲む「安心のおせち」。3万円台は、一年を頑張った自分たちへの「ご褒美の正月膳」として語ることができます。
ある地方の惣菜店では、少人数おせちに「夫婦二人の迎春膳」という名前をつけたところ、購入者が大幅に増えたといいます。価格ではなく“どんな時間を過ごしたいか”を明確にしたことで、お客様が自分の未来の姿をイメージしやすくなったのです。
また、値上げが避けられない状況では、商人の誠実さそのものが試されます。量を減らして据え置く“隠れ値上げ”は短期的には楽でも、長期的には信頼を失う選択です。
むしろ、原材料の高騰状況や地元食材のこだわり、一品一品の仕込みに込めた思いなどを正面から伝え、価格以上の価値を丁寧に見せることが、これからの信頼を育てます。黒豆の生産者の紹介冊子を添え、お屠蘇セットを加えた日本料理店の例は、その好例です。値上げは嫌われるものではなく、誠実であれば“納得されるもの”へと変わるのです。
二極化するニーズに応える
2026年のおせち市場は、コスパ重視の層と特別感を求める層の二極化が進んでいます。商人が生き残る鍵は、その両方のニーズに応える柔軟な設計力にあります。
同じ厨房であっても、段数や食材のグレードを変えることで複数のラインを展開することができますし、早期予約特典を単なる値引きではなく“追加一品のサービス”にすることで価値を損なわずに魅力を伝えることもできます。「おせち+オードブル」「おせち+スイーツ」といった組み合わせは、家族構成や価値観の違いに寄り添いながら満足度を高める方法です。
こうした工夫を重ねることで、物価高の時代でも「この店で買いたい」という気持ちが育っていきます。選ばれる店とは、価格で勝負する店ではありません。正直に語り、背景や物語まで届け、お客様の暮らしに寄り添う店です。おせちは家族の文化であり、一年の始まりを祝う特別な食事です。その価値を誠実に届けられるかどうかが、信頼の分岐点になります。
物価高は試練であると同時に、商いの原点を見つめ直す好機でもあります。価格に意味を宿し、価値を見える形で伝え、お客様の揺れる気持ちに寄り添う。この三つを大切にすれば、2026年の正月商戦は単なる“価格の戦い”ではなく、“信頼を積み重ねる一年の始まり”へと変わるはずです。商人の未来は日々の商いの中に芽生えています。どう育てるかは、私たちのあり方次第です。







