笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

年始に問う「よい」商い

正月二日の朝、まだ人の気配の少ない時間に机に向かい、硯に水を落としてゆっくりと墨をする。すり終えた墨の香りが部屋に満ち、半紙を前に筆を取ると、自然と呼吸が深くなります。

 

書き初めは単なる年中行事ではありません。一字に心を定め、その一年をどう生き、商人であればどんな商いを志すのかを、自分自身に誓う静かな儀式です。壁に貼られたその言葉は、やがて日常の風景に溶け込んでいきますが、迷ったとき、苦しいとき、ふと目に入ることで、判断の軸を思い出させてくれます。年始に言葉を選ぶことは、未来の自分と約束を交わす行為なのです。

 

人生いろいろ、「よい」だっていろいろ

 

多くの商人や経営者は、新年に「よい一年にしたい」と願います。この言葉はやさしく、誰にとっても異論のない抱負です。しかし、その「よい」とは、何を意味しているのでしょうか。

 

売上が伸びることか、評価が上がることか、トラブルが起きないことか。日本語の「よい」は便利であるがゆえに、具体性を失いやすい言葉でもあります。だからこそ、年の初めにあらためて「よい」を漢字で書き分け、その意味を自分の中で定義しておくことが、商いと経営を豊かにする第一歩になります。

 

良い

まず、多くの場面で使われるのが「良い」です。良い商品、良い売上、良い関係。平均点を超え、安心できる状態を示すこの言葉は、日常の経営判断に欠かせません。報告書や会議でも、最も使われる評価語でしょう。

ただし、年始の抱負として掲げるときには注意も必要です。「良い」を目標にすると、「悪くならなければよい」という地点で足を止めてしまうことがあります。現状を守る力が強い言葉だからこそ、守りに入る危うさも併せ持っています。

 

佳い

そこで意識したいのが「佳い」です。佳いとは、出来栄えを問う言葉です。素材選び、工程、手間、工夫の一つひとつを積み重ねた結果として生まれる完成度を評価する言葉が「佳い」です。

「佳い仕事をする一年にする」と書くことは、効率や近道よりも仕事の質を優先するという覚悟を意味します。数字にはすぐ表れなくても、確実に信頼を積み上げる。その姿勢が長い目で見た商いの強さになります。

 

善い

次に、「善い」。これは経営において最も重たい「よい」です。善いかどうかは、損か得かとは別の軸で判断されます。価格の付け方は誠実か。取引先との関係は対等か。働く人たちに胸を張れるか。

短期的な成果を優先すれば、善さは簡単に揺らぎます。だからこそ「善い商い」を掲げることは、迷ったときの拠り所を自らに与えることでもあります。書き初めに「善」の字を掲げると、その字が一年を通じて問いを投げかけ続けます。

 

宜い

経営判断の現場で欠かせないのが「宜い」です。宜いとは、その時点で最もふさわしい判断であることです。ただし、正解は一つではなく、状況によって変わります。

攻めるべきか、守るべきか。任せるべきか、自ら動くべきか。「宜い判断を積み重ねる一年にする」と決めることは迷いから逃げず、考え抜く覚悟を持つという宣言です。宜しさは、経験と誠実さの上にしか積み上がりません。

 

吉い

そして、「吉い」。吉は、努力の延長線上に訪れる結果です。縁や巡り合わせは、偶然のように見えますが、善い姿勢で向き合い、佳い仕事を重ね、宜い判断を積み上げた先に初めて現れます。

吉は待つものではなく、迎えに行くもの。そのための準備が日々の営みなのです。

 

すべての「よい」は吉のため

 

年始に書いた一字は一年間、静かに自分を律します。忙しさに流されそうなとき、数字に心を奪われそうなとき、その字に立ち返ることで判断の基準を取り戻すことができます。言葉に覚悟を宿し、覚悟を行動に落とし込み、行動を積み重ねる。その循環が「よい一年」を現実のものにします。

 

今年は、どんな「よい」を掲げるでしょうか。良い、佳い、善い、宜い、吉い。たった一字の違いが商いに向かう姿勢を定め、日々の判断の基準をつくり、経営の質そのものを変えていきます。その一字は、迷ったときに立ち返る羅針盤となり、苦しい局面では踏みとどまる力となり、うまくいっているときには驕りを戒めてくれます。

 

筆を置いたその瞬間、抱負は文字となり、文字は覚悟へと変わります。そして覚悟は翌日の売場に立つ足取りとなり、言葉の選び方となり、価格の決め方となって現れていきます。新しい一年の商いは、書き初めのその一字からすでに静かに、しかし確かに始まっているのです。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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