笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

宇都宮のオリオン通り商店街の一角にある小さな紅茶専門店。まだ店が開く前、シャッターの隙間からあたたかいオレンジ色の光が外へこぼれていました。店内では、根本泰昌さんがゆっくりとポットに湯を注いでいます。静かな店内に、湿った茶葉がふくらむ柔らかな音と、立ち上る甘い香りが広がっていく瞬間でした。

 

「毎朝、この香りを確かめると、自分の原点に戻れるんです」と語る根本さんの眼差しは穏やかで、どこか誇らしげでした。紅茶は単なる飲み物ではなく、“今日もこの街に灯をともすための最初の一滴”なのだと伝わってきます。

 

宇都宮は餃子の印象が圧倒的に強い街ですが、2008〜2010年には紅茶の消費量が全国1位となりました。数年前は43位だった街に紅茶文化が根づき、人々が茶葉を選び、香りを味わう習慣が生まれた背景には、静かに湯を注ぐこの商人の挑戦がありました。

 

 

憧れの通りが導いた起業の原点

 

根本さんは宇都宮駅の反対側の住宅地で育たれました。幼い頃、家族と歩いたオリオン通り商店街は、きらびやかな照明と人々の熱気にあふれ、特別な場所そのものでした。店の前に並ぶカラフルな商品、甘い匂いを運んでくる風、店先から聞こえる活気ある声──すべてが心躍る体験でした。

 

しかし時を重ねるごとに、街の様子は変わっていきました。シャッターが閉まり、人通りが減り、あの躍動感は次第に薄れていきました。「この通りがこのまま静かになってしまうのを、ただ見ているだけではいけない」と感じたことが、根本さんの胸に最初の火をともしたのです。

 

当時、東京の大手製薬会社で勤務していましたが、帰省のたびに変わっていく商店街の姿は、忘れられない問いを投げかけました。──自分は何をすべきなのか。

 

そこで、街を再生する事業の軸を探すために、思いつく限りの言葉を紙に書き出しはじめました。その数は5000にものぼります。「笑顔が生まれるか」「地域の誇りにつながるか」「老若男女が楽しめるか」「世界にも通じるか」という20の条件に照らして消していき、最後に残ったのは意外にも3800番目に記した“紅茶”でした。

 

宇都宮の軟水は紅茶と相性が良く、紅茶は人の心をゆるめ、対話を生む力を持っています。街の灯を取り戻すにはこの素材だ──そう確信した瞬間、根本さんは “紅茶で町を元気にする” という挑戦を自らに課したのです。

 

 

静かな店で育てた覚悟の挑戦

 

2006年、ワイズティーネットワークを創業し、翌年にはオリオン通りのビル2階に紅茶専門店「Y’s tea」を開店。しかし、当時の商店街はすでに人影が少なく、宣伝をあえて控えたこともあり、開店当初は雨の日の来客が5人という日が続きました。

 

それでも根本さんは、一杯一杯の紅茶を誠実に淹れ続けました。紅茶は嘘をつかず、丁寧な仕事には必ず応えてくれる──その信念が、静かな日々を支えました。

 

やがてある日、一人のご年配のお客さまとの出会いが訪れます。「久しぶりに、本当に丁寧に淹れた紅茶に出会えました」という言葉とともに浮かんだ涙は、紅茶文化が街から失われたわけではないことを証明する瞬間でした。

 

そして、地域の誇りを取り戻す紅茶をつくりたいと、栃木県産イチゴを生かしたブレンドに挑戦されます。300とおりの試作の末に生まれた「ベリー!ベリー!ベリー!」は、英国王室御用達の名品より高い値づけにもかかわらず、初月から10倍の売上を記録しました。紅茶の香りは確かに街の空気を変えつつありました。

 

紅茶教育で広がる子どもたちの未来

 

根本さんがとくに力を注いでいるのが、紅茶を通じた子どもたちへの教育活動です。学校・児童館・地域行事に出向き、茶葉の香り、湯温の違い、蒸らし時間の変化などを一緒に体験します。

この“変化を感じる学び”は、子どもたちの感性を引き出す絶好の機会になっています。「同じ茶葉でも、蒸らし時間で味が変わるんだ!」「いい匂いって、人を笑顔にするんだね」と、驚きの声があがるたび、根本さんは“本物に触れる教育”の力を感じられるといいます。

 

また紅茶の背景には、インド・スリランカ・アフリカなど世界中で働く人々がいます。生産者の努力や気候の影響を学ぶことで、子どもたちは文化の違いや労働の価値に自然と目を向けるようになります。紅茶は“世界とつながる入口”にもなるのです。

 

「紅茶を通じて育つ感性は、やがて未来の街をつくる力になります」と根本さんは活動の理由を語ります。こうして紅茶教育は静かに広がり、宇都宮の未来を担う子どもたちに確かな影響を与えつつあります。

 

 

紅茶が街を変え、人をつなぐ

 

現在、ワイズティーネットワークは100種類以上の紅茶やハーブティーを扱い、紅茶教室、ご当地紅茶の企画、企業や自治体との連携など、多方面に活動を広げています。コロナ禍で店舗営業が困難だった際にも、通販を通じて常連客が支え続けたことは、根本さんの商いが“商品だけの関係”ではなく、“信頼に支えられた関係”であることを証明しています。

 

紅茶の香りが満ちる場所には、人が集い、会話が生まれ、街が動き始めます。街の空気を変える力が商いに宿る──その確信を、根本さんは日々の営みの中で積み重ねられてきました。こうした根本さんの挑戦から、私たちは多くの学びを得ることができます。

 

第一に、「嘆く前に動く」という決意の力です。街の変化を悲しむだけでなく、自ら行動を起こしたからこそ、紅茶の灯がともりました。

 

第二に、問いを深める姿勢が事業を強くすること。5000のアイデアを書き出して得た「紅茶」という答えは、丁寧な思索の中から生まれた必然でした。

 

第三に、商品に物語を宿すことで、人の心は動くという事実です。「ベリー!ベリー!ベリー!」が地域の象徴となった理由は、込められた情熱と土地への思いにあります。

 

第四に、商人は街の未来を育てる存在であること。子どもたちへの紅茶教育、地域文化の創造、誠実な商い──それらが結び合い、街の明日を形づくっていきます。

 

商人の仕事とは、商品を売ることだけではありません。街を育て、人を温め、未来に灯をともすことなのです。根本さんの取り組みがそれを教えてくれます。宇都宮に広がる紅茶の香りは、その静かな証しです。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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