店の仕入れ伝票や帳簿を見て、思わずため息をついた経験のない商人はいないでしょう。原材料、燃料、電気代、人件費……。どれも自分ではコントロールできないものばかりが、じわじわと、しかし確実に経営を締め付けています。
帝国データバンクの調査によると、2025年の「物価高倒産」は949件。5年連続で過去最多を更新しました。もはや「一時的な異常事態」ではなく、構造的な経営課題であることが数字からもはっきりと示されています。
しかし、同じ物価高の荒波を受けながらも、踏みとどまった店があります。一方で、惜しまれながらシャッターを下ろした店もあります。この差は、いったいどこで生まれたのでしょうか。

倒産理由の正体
今回の調査で見逃せないのが、倒産要因の内訳です。最も多かったのは「原材料高」(43.3%)、続いて「人件費増」(24.8%)、「エネルギーコスト」(24.2%)でした。ここで重要なのは、コストが上がったこと自体が倒産理由ではないという点です。
本質的な問題は、上がったコストを価格に転嫁できなかったことにあります。実際、コスト上昇分に対する価格転嫁率は39.4%。4割を下回り、多くの事業者が値上げしきれずに体力を削っている実態が浮かび上がります。
「値上げをしたら、客が離れるのではないか」
「周囲の店が上げていない」
「申し訳ない気がして言い出せない」
こうした心理は、商人として自然な感情です。しかし、値上げをしないことが“善”であるかのような思い込みが、静かに、しかし確実に経営の足腰を奪っていきます。

小売・飲食に集中する倒産
業種別で見ると、2025年は建設業に次いで小売業が216件と大きく増えました。とりわけ飲食店と飲食料品小売が、小売業倒産の約8割を占めています。食材価格の高騰、水道光熱費の上昇、最低賃金の引き上げが続き、「売上は戻ったが、利益が残らない」「忙しいのに、なぜか苦しい」という声は、もはや珍しいものではありません。
ここで突きつけられているのは、安さで選ばれる店であり続けるのか、それとも価値で選ばれる店へと踏み出すのか、という覚悟です。
ある地方都市の老舗惣菜店の事例です。この店は、原材料費と人件費の上昇により、ここ数年で利益率が大きく低下していました。それでも店主は、「うちは庶民の味だから」「値上げしたら常連さんに申し訳ない」と、価格を据え置いてきました。
転機は、試算をしたときでした。このままでは、2年以内に資金が尽きる。値上げをしなければ、いずれ「店そのものがなくなる」現実に直面したのです。店主が選んだのは、一律値上げではありませんでした。
まず取り組んだのは、「毎日売れている定番商品」と「手間がかかるけれど店の顔になっている商品」の二つを洗い出すことでした。そして、こう考え直しました。「この惣菜は、安いから買われているのではない。“あの店の味”だから選ばれているのではないか」と。
値上げは、その定番商品だけを10〜15%。その代わり、POPにこう書きました。「原材料と人件費の高騰により、価格を見直しました。それでも、仕込みも味も変えずに続けたい。どうか、ご理解ください」。
結果は、想像と違うものでした。確かに一部のお客は離れました。しかし、多くの常連は「正直に言ってくれて、ありがとう」「なくなる方が困るから」と言ってくれました。客数は微減しましたが、粗利益は改善。何より、店主自身が「胸を張って商えるようになった」と語ります。値上げを成功させた理由は、価格ではなく、姿勢を先に示したことにありました。
物価高は商いを問い直す
2026年には「中小受託取引適正化法(取適法)」が施行され、価格転嫁を後押しする制度環境は整いつつあります。しかし、制度があっても、動くかどうかを決めるのは商人自身です。
・誰に向けて商っているのか
・何の価値を守りたいのか
・利益を、どこに再投資するのか
値上げとは、単なる数字の操作ではありません。商いの軸を言葉にし、覚悟を示す行為です。倒産件数の増加は、確かに重い現実です。しかし同時に、この数字は、正しく値付けし、正しく伝えた店はまだ未来を選び取れることを証明しています。物価高の時代に本当に問われているのは、いくらで売るかではなく、どう在り続けたいのかなのだと思います。







