「それは結果論でしょう」
講演などで繁盛店の話をすると、そんな言葉が返ってくることがあります。確かに、あとから振り返れば、どんな成功も「たまたま」に見えるのかもしれません。
しかし、現場を長く見続けていると、どうしても拭えない違和感があります。うまくいく店には、偶然が“重なって”いるのです。しかも、その偶然は誰にでも同じように訪れているものです。
繁盛店とそうでない店の違いは、それをつかめたかどうかだけなのです。このとき、静かに力を発揮するのが今日のテーマ「セレンディピティ(serendipity)」です。
セレンディピティは、一般に「探していなかった価値あるものを、偶然見つけること」と説明されます。しかし、商いの現場で重要なのは、その“偶然”そのものではありません。偶然に意味を見いだせるかどうかです。
同じ出来事が起きても、「まあ、そんなこともある」で終わる人もいれば、「なぜ、今これが起きたのだろう」と立ち止まる人もいます。この差が、後になって大きな差になります。セレンディピティは、運の良し悪しではありません。日常をどう受け止めているかという、商人の姿勢なのです。
繁盛店は「予定外の出来事」を歓迎する
ある地方都市の小さな食品店での話です。常連客がふらりと入ってきて、「今日は孫が来るんだけど、何か簡単に喜びそうなものはない?」と声をかけました。
店主はそれに対して、すぐに“正解商品”を示したわけではありません。一緒に売場を歩きながら、「このお菓子と、これを少しだけ組み合わせて、こんな食べ方はどうでしょう」と、即席の提案をしました。
それは、その日限りの思いつきでした。ところが数日後、同じような声が重なります。やがて、その組み合わせは定番商品となり、今ではその店を象徴する存在になっています。
予定外の一言を「想定外だから」と流すか、「ヒントかもしれない」と受け取るか。この違いが、偶然を“成果”に変える分かれ道なのです。
セレンディピティを呼び込む商人の習慣
では、セレンディピティはどうすれば生まれやすくなるのでしょうか。特別な才能は必要ありません。鍵になるのは、次の三つです。
一つ目は、余白を残すことです。売場を完璧に作り込みすぎない。予定を詰め込みすぎない。「こうあるべき」で思考を固めすぎないことです。
余白がないと、予定外の出来事はすべて「邪魔」になります。しかし、余白があれば、「何かが始まるかもしれない時間」になります。繁盛店ほど、どこかに“遊び”があります。それは無駄ではなく、偶然を迎え入れるためのスペースなのです。
二つ目は、よく見ることです。数字を見ることは大切です。しかし、それ以上に大切なのは人を見ることです。なぜ、その商品で立ち止まったのか。なぜ、買わずに棚に戻したのか。なぜ、その言葉を選んだのかを立ち止まって考えましょう。
セレンディピティは、「売れた理由」よりも「売れなかった理由」の中に潜んでいることが多いものです。違和感に気づけるかどうか。それが、偶然を拾える商人と、見逃す商人を分けます。
三つ目は、すぐに試すことです。完璧な計画を待たない。正解かどうかを考えすぎない。小さく、軽く、やってみましょう。
セレンディピティは、考えているだけでは育ちません。行動した人の足元にだけ、転がっています。失敗しても、経験は残ります。試さなかった偶然は、記憶にも残らず消えていきます。
セレンディピティ商いを面白くする力
商いが苦しくなると、人は「失敗しない方法」「再現性のある正解」を求めがちです。しかし、成熟社会では、正解は一つではありません。だからこそ必要なのは、偶然から学ぶ力です。
予定調和を外れたところに、思いもよらない芽がある。その芽に気づき、育てられるかどうか。セレンディピティとは、商いを続けている人にだけ与えられる、もう一つの才能なのかもしれません。
今日も店に立ち、人と向き合い、よく見て、よく聴き、動き続ける。その先で、「まさか、ここから始まるとは」という出会いが、きっと待っています。
偶然を、運で終わらせない。それが、商人の知恵であり、商いを長く、面白く続けるための力なのだと思います。






