12月25日。この日は多くの人にとっては祝祭の日であると同時に、私にとっては新保民八という一人の偉大な先達を偲ぶ日でもあります。
時代が変わり、商いの手法がどれほど進化しようとも、決して色あせることのない問いがあります。それは「商いとは、誰のために、何のためにあるのか」というものです。新保民八は、その問いを生涯抱き続け、商業を“生き方”として示した人物でした。
「お客様は淋しい」
――商いの出発点にあるもの
新保民八の言葉の中で、最も胸に迫るものの一つが「お客様は淋しい」という一節です。この言葉には、商業を「売る・買う」という行為に閉じ込めない、人間理解への深いまなざしがあります。
お客様は、単に商品を必要として店に足を運んでいるのではありません。誰かに話を聞いてほしい、自分の選択を肯定してほしい、日常の中で、ほんのひととき心を満たしたい。そんな思いを抱えて店に来られています。
だからこそ新保民八は、商人の役割を「物を渡す人」ではなく、「心に寄り添う存在」として位置づけました。この視点は、新保の友として共に商人の育成に生涯をかけた倉本長治の「店は客のためにある」という思想と共鳴し、日本の商人教育の根幹を形づくっていきました。
「正しきによりて
滅ぶ店あらば…」に込めた覚悟
新保民八の思想を語るうえで、避けて通れない言葉があります。正しきによりて滅ぶ店あらば滅びてもよし、断じて滅びずーーこの言葉は、商いを甘く見るなという戒めであり、同時に商人への深い信頼の表明でもあります。
目先の利益に流されず、お客様にとって「正しいこと」を選び続ける。たとえ一時的に苦しい局面があったとしても、その姿勢は必ず誰かに見られ、支えられ、やがて店を生かす力となる。
新保民八は、商人に対して「成功の保証」を与えたのではありません。与えたのは、生き方としての覚悟でした。

追悼――
私たちは何を受け継ぐのか
新保民八がこの世を去って久しい年月が流れました。しかし、その思想は今もなお問いかけてきます。数字を追うあまり、人を見失っていないか? 効率を優先するあまり、心を置き去りにしていないか? 「売れるかどうか」より先に、「役に立っているか」を考えているか? あなたはこれらの問いにどうこたえますか?
人口減少、成熟市場、デジタル化、価格競争――厳しい現実に直面する現代だからこそ、新保民八の言葉は一層の重みを持って胸に響きます。
思想は、語るだけでは継承されません。行動してこそ、次の世代に手渡されるものです。新保民八の教えを継ぐとは、お客様一人ひとりに誠実に向き合うこと、商いを社会に必要な仕事として磨き続けること、苦しいときほど「正しさ」から目をそらさないこと。
それを今日の売場で、今日の言葉で、今日の判断として実践し続ける覚悟を持つことにほかなりません。12月25日。新保民八の命日に、私たちは改めて立ち止まり、商いの原点を確かめたいと思います。
商いは、人を幸せにするためにある。商人は、誇りをもって育つ存在である。そして、正しさを貫く商いは、断じて滅びない。
この信念を胸に、今日もまた売場に立ち、人と向き合い、未来へと商いをつないでいく。それこそが新保民八への何よりの追悼であり、思想を継承する者の静かな決意表明なのです。







