「お客が定着しない」
「以前のように繰り返して買ってもらえない」
いま、多くの商人が同じ戸惑いを抱えています。それはけっして努力が足りないからでも、腕が落ちたからでもありません。私たちが向き合っているのは、消費文化そのものの転換です。
かつての消費は、重く、固く、積み上がるものでした。買ったら所有する。長く使う。同じ店、同じブランドと付き合い続ける。こうした「ソリッド消費」が長く商いの前提でした。
しかしいま、消費は流動化しています。必要なときに選び、合わなくなれば静かに手放す。縛られず、溜め込まず、そのつど更新する。これが、リキッド消費の時代です。
所有しない時代に人が求めるもの
この変化を前にして、「消費が軽くなった」「お客が薄情になった」と感じるのは自然なことです。けれど、現場を丁寧に見ていくと、まったく逆の景色が浮かび上がってきます。消費は軽くなったのではありません。選択が、これ以上なく重くなったのです。
リキッド消費の時代、消費者は簡単に選び、簡単に離れるように見えます。しかし、その一つひとつの選択の裏側には、かつてよりもはるかに多くの思考があります。
これは今の自分に合っているか?
この選択を自分は誇れるか?
この店、この人を、信じていいのか?
情報も選択肢も溢れる時代において、消費とは「モノを得る行為」ではなく、自分の価値観を確認する行為になりました。だから、価格や機能だけでは足りません。便利なだけでも、続きません。選ばれるためには、「なぜ、それを選ぶのか」という問いに、納得できる答えが必要なのです。
リキッド消費は、しばしば「所有しない消費」と語られます。確かに、人はモノを持たなくなりました。しかし、それは「価値を求めなくなった」という意味ではありません。むしろ、人はこれまで以上に、その選択がもたらす感情や意味を求めています。
使っている時間は心地よいか?
選んだ自分を肯定できるか?
誰から買ったのかを思い出せるか?
こうした手応えは、商品スペックでは生まれません。それを生み出すのは、商人の言葉と姿勢、そして積み重ねてきた時間です。
「売らない」ことで残り続ける
ある地方都市の商店街に、創業50年を超える小さな靴店があります。立地は良くありません。近隣には大型店もあり、価格でも品揃えでも勝ち目はありません。
それでも、この店には数年に一度、ふと思い出したように訪れる客がいます。店主は、靴を勧める前に必ず暮らしの話を聞きます。仕事の変化、家族のこと、体調の変化。その上で、「今は買わなくてもいいですね」と言うことも珍しくありません。
ここで売られているのは、靴ではありません。では、何でしょうか? それは、「この人に相談すればいい」という記憶です。
リキッド消費の時代、消費者はいつでも離れられます。だからこそ「縛られないのに切れない関係」を築ける店だけが静かに、しかし確実に残っていきます。
「選ばせない」ことで信頼を得る
もう一つの事例は、東京郊外の住宅地にある食品専門店です。扱うのは、調味料や乾物など、ごく日常的な食品。特別な高級品ではありません。この店の特徴は、選択肢の少なさにあります。醤油は2種類、味噌は3種類。「これ以上増やすと、責任が持てなくなる」と店主は言います。
仕入れた理由、作り手の姿勢、使い方を丁寧に語り、「あなたには、これがよいでしょう」と勧めます。客は「自分で選んだ」というより、「任せてよかった」という感覚を持って帰ります。
この店が売っているのは、食品ではありません。判断を引き受ける覚悟です。選択肢が多すぎる時代に、「迷わなくていい」という価値は何よりも重く、深い信頼を生みます。
流動の時代に商人は何者であるべきか
この二つの店に共通しているのは、売ることを急いでいない、という一点です。リキッド消費の時代、商人が売り急げば、関係は一瞬で壊れます。だからこそ、「いま売らなくてもいい」という余白が最大の信頼になります。
ここで重要なのは、売らないことではありません。「売る」]「売らない」を自分で引き受けているという姿勢です。消費は流れます。価値観は変わります。人の暮らしも、これからさらに変わっていくでしょう。
その中で、商人まで流れてしまっていいのでしょうか。私は、そうは思いません。消費者が流動的だからこそ、商人は「立ち続ける存在」でなければなりません。
やり方は変えていい。商品構成も、売場も、発信方法も変えていい。しかし、なぜこの商いをしているのか。誰の役に立ちたいのか。何を大切にしているのか。そこだけは変えてはなりません。
私たちはどうあるべきか
最後に、この時代を生きる商人としての行動宣言を記します。
私たちは、
売れるかどうかより、
信じて勧められるかどうかを基準にする。
私たちは、
一度きりの売上げより、
思い出してもらえる関係を選ぶ。
私たちは、
選択肢を増やすことより、
迷いを引き受ける覚悟を持つ。
私たちは、
流行に合わせて自分を変えるのではなく、
変わらぬ軸を持ったまま、やり方を更新し続ける。
そして私たちは、
消費がどれほど流動化しようとも、
人と向き合い、言葉を尽くし、商いに責任を持ち続ける。
リキッド消費の時代とは、商人が不要になる時代ではありません。商人の覚悟がこれまで以上に問われる時代なのです。今日もまた、その覚悟を胸に店の灯りをともしましょう。







