笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

「あなたがたは世の光である」

 

新約聖書「マタイによる福音書」にある一文です。「地の塩」と同じ場面、同じ説教の中で語られていますが、それは偶然ではありません。「地の塩」が社会を内側から支える存在だとすれば、「世の光」は社会を外側から照らす存在です。

 

塩が“効く力”なら、光は“示す力”。塩が“守る力”なら、光は“導く力”。支える存在と、導く存在。この二つが重なって、社会は健全に保たれていきます。

 

光とは、目立つことではありません。輝くことでもありません。照らしつけることでもありません。方向を示すこと。進める道をつくること。迷いの中に基準を置くこと。それが「世の光」です。

 

光とは「指標」である

 

イエスは続けて、「灯をともして、それを升の下に置く人はいない。燭台の上に置く」と語っています。これは、「目立て」という教えではありません。「隠れるな」という教えでもありません。意味しているのは、役割を閉じ込めるなということです。

 

光は、照らして初めて光になる。使って初めて意味を持つ。現代で言えば、「世の光」とは希望の象徴ではなく、指標の存在です。「何が正しいか」を示す人。「どこへ向かうか」を示す人。「何を選ぶか」の基準になる人ということです。

 

声の大きさではありません。カリスマ性でもありません。影響力でもありません。判断の軸です。選択の基準です。迷いの中の一本線です。その人の一言で、場の方向が定まる。その人の判断で、空気が整う。その人の存在で、迷いが減る。それが「世の光」です。

 

商いにおける「世の光」の店

 

ある地方都市に、家族経営の小さな専門店があります。売場は大きくない。派手な演出もない。価格競争をする店でもない。けれど、その店主の言葉には一貫した軸があります。

 

「これは安いけど、長くは使えない」
「これは高いけど、十年使える」
「これは流行っているけど、あなたの暮らしには合わない」
「これは地味だけど、毎日助けてくれる」

 

売るための言葉ではありません。選ばせるための言葉です。だから、お客さまは「ここに来ると、迷わなくて済む」「判断を委ねられる」「間違えない気がする」と言います。この店は、地域にとっての「世の光」なのです。

 

売上規模では測れない価値があります。集客力でも測れない力があります。地域の選択基準になっている。暮らしの判断軸になっている。それが「光」の役割です。

 

「地の塩」は支える存在。「世の光」は導く存在。土台と方向。倫理と希望。信頼と指標。この二つは対立しません。補完関係にあります。支えるだけでは進めないし、導くだけでは崩れてしまいます。

 

商いも同じです。土台をつくる誠実さと、方向を示す思想。現場を守る力と、未来を照らす軸。この両輪があって、店は続いていきます。

 

世界を変えるな、照らせ

 

イエスは「世界を変えよ」とは言いませんでした。「世の光であれ」と言ったのです。支配しろ、でもない。操作しろ、でもない。勝て、でもない。照らせと言っているのです。暗闇を消せではなく、「一点の光になれ」と言っています。

 

商いも人生も同じです。すべてを変えなくていい。社会を動かさなくていい。革命を起こさなくていい。ただ、迷っている人の前に、一本の道を示せる存在になること。それだけでいいのです。

 

派手である必要はありません。有名である必要もありません。大きくなる必要もありません。必要なのは、その場にとって、方向を示す存在になることです。地の塩として支え、世の光として導く。静かに、深く、確実に。

 

この二つの在り方が重なったとき、商いは「仕事」を超え、生き方になります。世界は変えなくていい。照らせばいいのです。それが、「世の光」という生き方です。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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