笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

先日、岩手県陸前高田市を訪れた折、剣道の「残心」という言葉に出会いました。剣道家である店主によると、打ったあとも、心と体と気を途切れさせず、相手に備え続ける状態を指すそうです。

 

面を打った瞬間が勝負のすべてではありません。打ったあとに気を抜けば、そこに隙が生まれます。逆に、打突のあとも姿勢を正し、相手と向き合い続けるとき、その技は完成します。

 

剣道は教えます。本当の力量は、打った瞬間ではなく、打ったあとの姿に現れるのだと。商人でもある彼は、「この教えは、商いの本質そのものを示している」と言います。

 

売ったあとこそ関係が始まる

 

多くの店が、無意識のうちに「売ること」をゴールにしています。商品を渡し、代金を受け取った瞬間に、取引は完了したと考えてしまう。

 

しかし、お客様にとって、その瞬間は終わりではありません。むしろ、その商品とともに過ごす時間が始まる瞬間です。

 

そういえば、ある靴店の店主は靴を販売した数日後、必ず一通の葉書を送ることを思い出しました。そこには、「履き心地はいかがでしょうか。もし違和感があれば、いつでも調整いたします」と綴られています。

 

この一言に、お客様は驚きます。売ったあとも、自分のことを気にかけてくれている“残心”に心を揺さぶられるのです。この店主は、靴を売ったのではなく、自分の歩みを支えてくれているのだと感じるのです。

 

それ以来、そのお客様は靴が必要になるたびに、その店を訪れます。そして家族や友人にも、その店を紹介するようになります。これは偶然ではありません。店主が「売ったあと」に残心を持ち続けているからです。

 

生涯顧客化とは残心の積み重ね

 

一度の販売で得られる利益には限りがあります。しかし、一人のお客様が生涯にわたって来店してくださるとき、その価値は計り知れません。これが生涯顧客化の本質です。

 

しかし、生涯顧客は自然に生まれるものではありません。売ったあとも関係を大切にし続ける、日々の姿勢の中で育まれます。

 

・購入後の様子を気にかける
・顔と名前を覚える
・前回の会話の続きをする
・困ったときに、すぐに応じる

 

こうした一つひとつは小さな行為です。しかし、それらが積み重なったとき、お客様の心に確かな信頼が生まれます。信頼とは「この人は、売ったあとも自分を大切にしてくれる」という確信です。まさに、商いにおける残心です。

 

LTVは残心の深さで決まる

 

経営の世界では「ライフタイムバリュー(LTV 顧客生涯価値)」という言葉があります。一人のお客様が生涯を通じて店にもたらしてくださる価値の総和です。

 

この価値は、価格や品揃えだけで決まるものではありません。どれだけ売ったかではなく、どれだけ関係が続いたかで決まります。その関係を支えるのが残心です。

 

売ったあとに無関心になれば、関係はそこで終わります。しかし、売ったあとも心を残し続ければ、関係は深まり続けます。その積み重ねが再来店を生み、紹介を生み、やがて店の未来を支える大きな力になります。

 

 

残心のある店だけが選ばれ続ける

 

モノがあふれる時代です。商品そのものの差は、以前ほど大きくありません。それでも、お客様が特定の店を選び続ける理由があります。それは、その店に残心があるからです。

 

「売ったら終わり」の店は、取引だけで終わります。しかし、「売ったあとこそ、関係が始まる」と考える店は、人生に寄り添う存在になります。剣道で、打ったあとに真価が現れるように、商いもまた、売ったあとの姿にその店のすべてが現れます。

 

残心とは、技術ではありません。お客様との未来に責任を持つという、商人の覚悟です。その覚悟を持つ店だけが、一度のお客様を、生涯のお客様へと育てることができるのです。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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