私たちは、毎日無数の判断をしています。仕事でも、家庭でも、「どうするか」を決める瞬間が次々にやってきます。
ところが、どの判断にどれだけ時間をかけるべきか――その基準を持たないまま、すべてを同じように悩み、同じように迷ってしまう人は少なくありません。そんなとき、興味深い示唆を与えてくれるのが「ファーストチェス理論」です。
名人の“直感”は信頼できる
この理論は、チェスの名人を対象にした研究から生まれました。5秒で考えた指し手と、30分かけて熟考した指し手を比較したところ、なんと約86%が同じだったのです。つまり、熟練者は短い時間でも最善に近い判断を下せるということです。
名人の頭の中には、長年の経験から築かれた「瞬間の判断を支える知識と直感の体系」があるのです。この結果から導かれるのは、「熟練者の直感は時間をかけて考えた結果と大差ないほど信頼できる」という結論です。
つまり、すべての問題に同じように時間をかけるのではなく、“重要でないことは即決し、重要なことだけを熟考する”という判断のメリハリが重要だということです。あなたはそうした区別をしていますか。
即決は軽率ではなく「効率」
たとえば、会議を思い浮かべてみてください。どの商品を仕入れるか、どのPOPを採用するか、どんな言葉でSNSに投稿するか――こうした小さな判断に延々と時間を費やしていないでしょうか。
結局、最初に出た案に戻ってくることも多いものです。重要でない問題は、まず5秒で決めて動く。そして、実行してみた結果を見て修正すればよいのです。
このサイクルを繰り返すほうが、考え続けて動かないよりはるかに成果につながります。即決とは「軽率な行動」ではなく、「実行と学びを早める効率の作法」なのです。
熟考すべきは「後戻りできない判断」
もちろん、すべてを直感で済ませるわけにはいきません。店の将来を左右する投資判断や人事、ブランド方針など、一度決めると修正が難しいテーマには、時間をかける価値があります。
熟考とは、「未来のリスクを減らすための思考投資」と言えます。つまり、判断には二種類あるのです。
すぐに修正できる決定は即断してかまいません。しかし、修正不能な決定には、じっくりと向き合いましょう。ファーストチェス理論が教えてくれるのは、「どの判断にどれだけの時間を投じるか」を見極める知恵なのです。
経験が直感を磨く
この理論にはもう一つの前提があります。それは“名人”のように、豊富な経験を持つことです。つまり、直感は「経験の蓄積」なくして磨かれません。
商人でいえば、日々の商いの中で積み重ねてきた「お客様の反応」「売場の変化」「季節の動き」などの観察こそが、直感の精度を高める訓練です。一度の成功や失敗ではなく、何百、何千という試行錯誤を経た先に、「5秒で決められる判断力」が身についていくのです。
あるベーカリーの“5秒判断”
栃木県のあるベーカリーの店主は毎朝、どの種類をどれだけ焼くかを“5秒で”決めるそうです「今日の天気」「前日の売れ行き」「来店が予想されるお客様の顔ぶれ」をざっと見て、直感的にオーブンを動かす。その判断が見事に的中するのは、30年にわたる経験の積み重ねがあるからです。
彼はこう語ります。「考えすぎると、お客様の流れを逃す。動きながら考えるのが一番いい」。これこそ、ファーストチェス理論の実践そのものです。
“決める力”が行動を変える
重要でなければ即決、重要なものは丁寧に――この一言を判断の基準にするだけで、日々の行動は驚くほど軽くなります。考えすぎて動けない時間が減り、行動の質が上がります。その積み重ねが商いのスピードと精度を高めていきます。
ファーストチェス理論は、決断を早くするための理論ではありません。“どこに時間をかけ、どこを素早く動くか”を教えてくれる「時間配分の哲学」なのです。直感は経験の果実です。今日もまた自分の“5秒の判断”を信じて、一歩を踏み出していきましょう。







