「最近、忙しくて……」
商人どうしが顔を合わせると、決まって交わされる言葉です。忙しさは繁盛の証のようにも聞こえます。しかし同時に、その一言の裏には余裕のなさや判断の粗さが忍び込んでいることも少なくありません。
忙しさは、商人を鍛えることもあれば、鈍らせることもあります。そのわかれ目は、売上や客数ではなく、時間をどう使っているかにあります。すべてに人に等しく与えられた資産「時間」の使いかたを考えてみましょう。
忙しさが商人の誠実さを削るとき
忙しいときほど、人は「早く済ませる」ことを優先します。説明を省く。確認を後回しにする。笑顔が減る。それらは悪意ではなく、余裕の欠如です。
ある飲食店では、昼のピークタイムが続くうちに、常連客の顔が少しずつ遠のいていきました。売上は落ちていない。むしろ上がっている。それでも、店主は違和感を覚えます。理由は後になってわかりました。
「忙しそうで、声をかけづらくなった」
「前ほど、こちらを見てくれなくなった気がした」
忙しさが続くと、商人は“見る力”を失っていきます。目の前の作業はこなしていても、人を見る余裕がなくなるのです。「いつもより短い挨拶」「目を合わせない会計」「本当は必要だった一言を飲み込む判断」といった小さな省略は、商人自身が気づかないうちに積み重なります。
忙しさは、商人を怠けさせるのではありません。鈍感にするのです。
忙しさが商人を誠実にする瞬間
一方で、忙しさが商人の誠実さを磨く場面も、確かに存在します。ある専門店では、人手不足のなかで繁忙期を迎えました。すべてを完璧にこなすことは不可能です。そこで店主は、徹底的に「やらないこと」を決めました。
「販促用のSNS更新は最低限にする」「新しい企画は考えない」――その代わり、来店したお客様への対応だけは絶対に削らないことを決めました。。忙しいからこそ、雑談は減らしても、挨拶はやめない。説明は短くしても、目は合わせる。謝るべき場面では、必ず足を止める。
限られた時間の中で、「何を省いてはいけないか」を選び続けた結果、その店は、忙しさの中でも信頼を失いませんでした。このように、忙しさはすべてを雑にするわけではありません。むしろ、時間が足りないからこそ、商人の優先順位が露わになるのです。
時間の使いかたは商いの質そのもの
商いの質は、接客スキルや商品力だけで決まるものではありません。それらを支えているのは、日々の時間の使い方です。繁盛している店ほど、「忙しい」の中身が違います。がむしゃらに動いているのではなく、時間を設計しているのです。
ある商店街の老舗では、閉店後の30分を「何もしない時間」に充てています。売上集計もしない。会議もしない。ただ、今日一日の客の顔を思い返し、気になった出来事をメモするだけに集中しました。その30分があることで、翌日の判断が変わると言います。無理な注文を断る勇気が持てる。逆に、少し踏み込むべきお客様が見えてくる。
忙しい店ほど、すべての要望に応えようとしません。効果の薄い作業を手放します。考える時間をあらかじめ確保します。こうして生まれた時間は、お客様の話を聞く時間、売場を整える時間、次の一手を考える時間へと使われます。
時間は平等です。差が出るのは、その配分です。忙しさに流される店は、時間を奪われます。忙しさを扱える店は、時間を使いこなします。
忙しさに主導権を渡さない
忙しさは、外からやってきます。しかし、それに振り回されるかどうかは、商人自身が選べます。
今日の忙しさは、何が生んだのか。
その忙しさは、本当に必要だったのか。
減らせる作業はなかったか。
そう問い直すだけで、商いのリズムは変わります。忙しさを誇る必要はありません。暇を装う必要もありません。大切なのは、忙しさに主導権を渡さないことです。
忙しさは、商人を誠実にも、鈍感にもします。分かれ道は、いつも、時間の使い方の中にあります。今日の一時間を、何に使ったか。それが、そのまま、明日の商いの質を決めていくのです。







