笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

「ここまでやってきたのだから、今さら引き返せない」
「お金も時間もかけた。やめたら、すべてが無駄になる気がする」
こうした心理状態を、行動経済学では「サンクコストの呪縛(Sunk Cost Fallacy)」と呼びます。

 

サンクコストとは、すでに支払ってしまい、どのような判断をしても回収できない費用や時間のこと。本来、将来の意思決定には無関係であるはずですが、人は感情によってそれを切り離せません。この「人は合理的に判断できない」という前提を、学問として正面から扱ったのがダニエル・カーネマンとリチャード・セイラーです。

 

なぜ人は合理的に判断できないのか

 

ダニエル・カーネマンは、2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者です。彼は人間の思考を、直感的・感情的で速い「システム1」、論理的・熟考的で遅い「システム2」の二つに分け、人は日常の判断の多くを「システム1」に頼っていることを示しました。サンクコストの呪縛は、まさにこの直感的思考が引き起こします。「もったいない」「負けを認めたくない」という感情が未来の判断を歪めるのです。

 

一方、リチャード・セイラーは、行動経済学を経営や政策の世界に広げた人物で、2017年にノーベル経済学賞を受賞しました。彼は「人はいつも合理的ではない。だからこそ、その前提で仕組みをつくるべきだ」と主張しました。サンクコストの呪縛も、人間の“癖”として自然に起こるものであり、意思の弱さではなく「構造的な問題」だと捉えます。

 

この二人の研究が教えてくれるのは、「人は間違える存在である。それを前提に、判断の仕方を設計せよ」という極めて実践的な知恵です。

 

サンクコストは過去、商いは未来

 

ある地方都市の専門店では、数年前に大きな業態転換を行いました。当時の流行を取り入れ、多額の投資をして改装。しかし来店客数は伸びず、売上は右肩下がりになっていきます。

 

本当は、半年ほどで「方向が違う」という感触はありました。それでも店主は「ここまで投資したのだから、やめたら損になる」「もう少し続ければ、状況は好転するはずだ」と考え続けます。結果、判断は遅れ、在庫と固定費が経営を圧迫しました。

 

振り返れば、「あの時点で軌道修正していれば、選択肢はもっとあった」と店主。これは能力不足ではなく、人間の心理が生んだ必然的な判断ミスだったのです。

 

サンクコストの呪縛を理解するうえで、最も大切な視点があります。それは、商いは常に未来を扱う仕事であるということです。過去にかけたお金や時間は、もう戻りません。にもかかわらず、それを理由に続けるかどうかを決めると、判断基準は必ず歪みます。

 

有効なのは、次の問いです。
・今日、白紙の状態から始めるとしたら、この選択をするか?
・これから1年、この施策を続けて得られるものは何か?
・続けることで失われる、別の可能性は何か
これら問いに正直に向き合えるかどうかが、商人としての分岐点になります。

 

過去から自由になり、未来に舵を切る

 

ここからが最も重要な部分です。サンクコストの呪縛を「知識」で終わらせず、「行動」に変えるための視点です。最初にすべきことは、過去と未来を切り分けることです。

 

紙を一枚用意し、次の二つを書き出してください。
・これまでにかけたもの(お金、時間、労力)
・これから得たいもの(利益、やりがい、お客様の姿)
この二つがまったく別の欄にあることを視覚的に確認するだけで、思考は整理されます。

 

次に、「今やめたら何が生まれるか」を考えます。浮く時間、使える資金、向き合えるお客様、新しい挑戦。やめることは「損」ではなく、資源の再配分だと気づけるはずです。

 

そして二歩目は、小さな実験です。全面撤退ではなく、「一部をやめる」「縮小して試す」という選択肢を考え、実践してみましょう。商いは白黒ではなく、グラデーションで修正できる営みです。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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