閉店後の店内。レジを締め、店主が一日の売上を確認しています。電卓を何度かたたき、仕入れの請求書と見比べる。そして、ふっとため息をつきました。
「売上は去年より増えているんです。でもね、なぜかお金が残らないんですよ」
春に思い切って値上げをしました。仕入れ値は上がりました。電気代も、包装資材も、配送費も上がりました。最低賃金も上がり、人件費も以前のままでは済みません。それでも常連客の顔を思い浮かべると、なかなか価格を変えられなかったといいます。
「高くなったね」と言われるのが怖かった。値札を書き直しては迷い、また元の価格に戻したこともありました。それでも、「このままでは続けられない」と腹を決め、ようやく値上げに踏み切りました。
ところが数カ月たってみると、売上高は増えたのに、利益は思ったほど増えていません。通帳の残高を見ると、むしろ以前より心細く感じる月さえあります。
「値上げしたんだから、もう少し楽になると思ったんだけどなあ」
いま、同じような思いをしている中小企業や商店は少なくないのではないでしょうか。
帝国データバンクの調査によると、企業の75%以上が何らかの価格転嫁を行っている一方、コスト上昇分を販売価格へ反映できた割合を示す「価格転嫁率」は39.9%にとどまっています。簡単に言えば、原価や人件費などのコストが100円増えても、価格に乗せられているのは約40円。残りの約60円は、企業側が自ら負担しているということです。
値上げした。それでも苦しい。問題は、「値上げしたかどうか」ではないのです。

値上げしたかではなく、足りているか
経営者から「うちも値上げしました」と聞く機会が増えました。しかし私は、その次にもう一つ「その値上げで、必要な利益は確保できていますか」と尋ねます。
5%値上げした。10%値上げした。その数字だけを見れば、大きな決断をしたように思えます。しかし、仕入れ価格が15%上がり、人件費や光熱費、物流費まで増えていたらどうでしょう。5%値上げしても、実質的には値下げしているのと同じことになりかねません。
大切なのは、「去年よりいくら上げたか」ではありません。いま、この商品を売り続けるためにいくら必要なのか――ここから価格を考えなければならないのです。
商品原価だけを見て価格を決めることも危険です。店を開けていれば家賃がかかります。照明や冷暖房を使えば電気代がかかります。商品を説明し、包装し、会計をする人がいれば人件費がかかります。そして忘れてはならないのが利益です。
利益というと、「儲けすぎはいけない」「お客さんに申し訳ない」と考える経営者がいます。しかし利益は、経営者がぜいたくをするためだけのお金ではありません。設備を修理する。新しい商品を開発する。社員の給与を上げる。人を育てる。借入金を返す。そして、災害や不況など思いもよらないことが起きたときに店を守る。そのためにも利益は必要です。利益のない商売は、今日を生きることはできても、明日をつくることができません。
値段を決めるとは、未来を決めること
私はこれまで多くの商店や企業を取材してきましたが、価格の付け方には経営者の考え方がよく表れます。「この値段なら、お客さんは文句を言わないだろう」と考えて価格を決める店があります。一方で、「この品質を守り、社員に適正な給与を払い、これからもお客さんに喜んでもらうためには、この価格が必要です」と考えて価格を決める店もあります。
同じ値上げでも、その意味はまったく違います。価格とは、単なる数字ではありません。どんな商品を提供するのか。どんな人を雇うのか。どんなサービスを続けるのか。どんな会社を未来へ残すのか。そのすべてが価格の中に入っています。つまり、値決めとは経営そのものなのです。
だから経営者は、値上げを怖がるだけではなく、自分の商売に必要な価格を説明できなければなりません。「原材料が上がったから仕方なく値上げします」だけでは十分ではありません。なぜ、この商品にはこの価格が必要なのか。どんな素材を使っているのか。どんな手間をかけているのか。どんな技術が込められているのか。買った後にどんな喜びや便利さ、豊かさを届けられるのか。
価格を上げるのであれば、同時に価値を伝える力も高める必要があります。値札を替えるだけでは、本当の意味での値上げにはならないのです。
安く売る親切が店を苦しめていない
商売をしている人ほど、お客さんに優しい人が多いものです。「これ以上高くしたら申し訳ない」「昔からのお客さんだから」「近所には年金暮らしの人も多いから」。その気持ちは、とてもよくわかります。
しかし、ここで考えてみたいのです。無理に安く売り続けた結果、社員の給料を上げられなくなったらどうでしょう。設備を直せなくなったらどうでしょう。人が辞め、後継者も育たず、最後には店そのものを閉めざるを得なくなったらどうでしょう。それは本当に、お客さんのためでしょうか。
私は、商売には「続ける責任」があると思っています。お客さんが困ったとき、そこに店がある。欲しいものがあるとき、相談できる人がいる。地域で雇用を生み、税金を払い、次の世代へ商いをつないでいく。そのためには、適正な利益が必要です。
もちろん、ただ値上げすればいいという話ではありません。無駄なコストは減らす。仕事のやり方を見直す。商品構成を変える。粗利益の低い商品と高い商品を組み合わせる。デジタルやAIを使い、人にしかできない仕事へ時間を振り向ける。やるべきことをやったうえで、それでも必要な価格は、きちんといただく。私はそれが、これからの商人に必要な覚悟だと思います。
閉店後、電卓を前にため息をつく経営を続けてはいけません。「値上げしたのに利益が残らない」と感じているなら、もう一度価格を見直してみてください。見るべきなのは、「去年より高くなったか」ではありません。この価格で、働く人にきちんと報いることができるか。お客さんに良い商品を届け続けられるか。そして、この店を未来へ残せるか。
値段を決めるとは、未来を決めることです。安く売ることだけがお客さんへの親切ではありません。良い商品と良いサービスを、明日も、来年も、その先も届け続けること。そのために必要な価格をいただくこともまた、商人がお客さんに果たす大切な責任なのです。







