笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

マニュアルがあるのになぜ接客があたたかいのか

お客様が箸を落としたことに、スタッフが音で気づき、新しい箸をすぐに届ける。水の残り具合や食事の進み方から、次に必要になりそうなことを察する。料理を食べる速度が落ちれば、量が多いのか、何か困っているのかと表情や手の動きまで見る――。鼎泰豐(ディンタイフォン)の接客には、こうした「言われる前に気づく」場面があります。

 

一方で鼎泰豐は、SOP、SQP、DPSによって仕事を細かく標準化している会社でもあります。普通に考えれば、マニュアルを増やすほど接客は機械的になりそうです。それなのに、なぜ鼎泰豐のサービスにはあたたかさが残るのでしょうか。

 

その答えは、標準化と人間味を反対のものとして扱っていないことにあります。予測できる仕事は仕組みでそろえ、予測できない顧客の違いは人が判断する。仕組みによって「迷わなくてよいこと」を減らし、その分の注意力を目の前のお客様へ向ける。鼎泰豐のあたたかさは、マニュアルの外に偶然残ったものではなく、マニュアルの目的そのものから生まれています。

 

 

「気づく力」を育てる

 

鼎泰豐のサービスで特徴的なのは、「頼まれたことを正確に行う」だけではない点です。お客様が何かを求めてから動くのではなく、言葉になる前の小さな変化を察知しようとします。箸を落としたことに気づく。水の残り具合を見る。料理を食べる速度、表情、会話の様子を見る。観察した事実から、次に必要になりそうなことを考えます。

 

ここで重要なのは、これを「気の利く人だけができる特別な能力」と考えていないことです。観察にも型があり、教育できるものとして扱っています。何を見るのか。どんな変化に気づくのか。気づいたらどう確認し、どう動くのか。ホスピタリティを個人の性格や善意だけに任せず、学習できる能力として捉えているのです。

 

多くの店では、「もっとお客様を見なさい」「気を利かせなさい」と指導します。しかし、それだけでは人は動きにくいものです。「何を見ればよいのか」がわからないからです。接客の質を高める第一歩は、笑顔の練習や敬語の統一だけではありません。観察する対象を具体化することです。

 

小売店なら、買い物かごの中身を見る。足取りを見る。商品を手に取って戻した回数を見る。説明を聞く表情を見る。飲食店なら、食べる速度や手の止まり方を見る。見るべきものは業種によって違いますが、「観察→想像→確認→行動」という流れは共通します。気づきは才能ではなく、訓練によって精度を高められます。

 

さらに必要なのは、観察した事実と自分の思い込みを分けることです。「食べるのが遅いから不満だ」と決めつけるのではなく、「速度が落ちた」という事実に気づき、必要なら確かめる。良い接客は、勝手な先回りではありません。相手の反応を見ながら距離を調整することです。観察力と同じくらい、踏み込みすぎない判断力が必要になります。

 

ここで「サービス」と「ホスピタリティ」を分けると、鼎泰豐の仕組みが見えやすくなります。サービスは、すべてのお客様に一定水準で提供する約束です。清潔である、注文が正確である、料理が適切な状態で出る。これは標準化できます。一方、ホスピタリティは、その土台の上で目の前の人の違いに応じることです。親切の量ではなく、その人に合った親切を選ぶ力と言えます。

 

 

余白をつくる仕組み

 

ただし、「よく見なさい」と教えるだけでも十分ではありません。人には、見るための余裕が必要です。料理を運ぶ、テーブルを片づける、注文を取る、会計をする。それだけで精いっぱいなら、目の前のお客様の小さな変化に気づくことはできません。鼎泰豐が人員を極端に削らず、教育や働く環境へ投資している理由も、ここにつながります。

 

さらに、その余裕を支えているのが標準化です。第2回「『このくらい』をどう世界標準にしたのか」で見たように、鼎泰豐ではSOPによって基本動作が決まり、SQPによって仕上がりの基準が明確になり、DPSによって注文情報や特殊な要望、教育、検査、現場からの情報がつながっています。

 

毎回「次に何をすべきか」と迷わず、個人がすべてを頭の中で抱え込まなくて済めば、人の頭と心に余白が生まれます。ここで言う余白は、暇な時間ではありません。状況を観察し、考え、行動を選ぶための認知的な余力です。

 

標準化の目的を「全員を同じように動かすこと」だけだと考えると、接客は冷たくなります。しかし、「迷わなくてよい仕事で迷わせず、人にしかできない判断へ力を残すこと」と考えると意味は逆転します。手順が決まっているから手順以外を見ることができ、情報が共有されているから相手の表情を見ることができる。仕組みが人の仕事を奪うのではなく、人が人を見るための注意力を返しているのです。

 

この構造は、第3回で見た人件費の考え方ともつながります。人を多く配置するだけでは価値になりません。人が「作業の穴埋め」だけで一日を終えれば、人件費は単なるコストです。仕組みで定型作業の負担を減らし、人の時間を観察、判断、配慮へ振り向けることで、初めて人件費が顧客価値へ変わります。鼎泰豐の強さは、人への投資と標準化を別々に行うのではなく、互いに効かせている点にあります。

 

 

人にしかできない仕事

 

もう一つ見逃せないのが、ITの役割です。鼎泰豐では、特殊な注文などの情報を厨房へ正確に伝え、個別の要望を実行しやすくする仕組みが使われています。たとえば、「塩を控えめにしてほしい」「特定の食材を抜いてほしい」といった要望を口頭だけに頼れば、伝達ミスが起こります。記憶と伝言に頼る部分を仕組みに渡すことで、人は確認と配慮に集中できます。

 

これは、これからのAI時代にも通じます。機械に任せられることまで人間が抱え込んでいれば、人は忙しくなる一方です。注文入力、在庫確認、情報共有、集計、定型的な説明。こうした仕事を仕組みに任せることで、人には時間と注意力が戻ってきます。問題は、その余力を何に使うかです。

 

空いた時間をさらに作業で埋めれば、効率は上がってもあたたかさは生まれません。お客様の不安に気づく。言葉にならない要望を察する。状況に応じて判断する。安心させる。必要なら何もしないことを選ぶ。そこに人が働く価値があります。AIやITの目的は、人を減らすことだけではなく、人にしかできない仕事の比率を高めることにもあるはずです。

 

ただし、良いサービスとは何でも先回りすればよいということでもありません。静かに食事をしたい人もいれば、説明を求める人もいます。頻繁に話しかけられることを負担に感じる人もいます。だから必要なのは、親切を増やすことではなく、その人にとってちょうどよい距離を見極めることです。

 

だからこそ、マニュアルの最後には現場の判断が残ります。ルールで決められるところはルールで守り、ルールでは決めきれないところを人が担う。この境界線が明確だから、標準化とあたたかさを両立できます。そして裁量を与えるなら、「何をしてもよい」のではなく、「何を守ったうえで判断してよいか」を明確にする必要があります。品質、安全、礼節というガードレールがあるから、現場は安心して一歩先の気づきを行動に変えられます。

 

自店に置き換えて考えてみると、一つの問いが浮かびます。従業員に「もっとお客様を見なさい」と言う前に、お客様を見る余裕をつくっているでしょうか。無駄な作業はないか。共有できる情報を個人の記憶に頼っていないか。迷わなくてよい仕事で迷わせていないか。そして、現場が気づいたとき、自分で判断して動ける範囲を与えているか。ホスピタリティは、個人の心がけだけでなく、経営の設計によって左右されます。

 

気づく力を教え、気づける余力をつくり、気づいたことを行動に移せる仕組みと裁量を整える。その積み重ねによって、初めて高いサービスが再現されます。あたたかさは、仕組みの反対側にあるのではありません。予測できることを仕組みに任せるからこそ、予測できない人の違いに向き合える。ここに「有溫度的完美」、温度のある完璧さの本質があります。

 

では、ここまで品質を標準化し、人に投資し、サービスの仕組みまで整えた鼎泰豐は、なぜ成功するとすぐに店を増やさなかったのでしょうか。売れるなら出店ペースを速め、需要があるなら拡大しようとする。それが普通の成長戦略です。しかし鼎泰豐は、「売れるか」より「守れるか」を重視してきました。次回はいよいよ最終回です。鼎泰豐の成長観から、「繁盛とは何か」を考えます。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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