笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

なぜ鼎泰豐の人件費は業界一なのか

原材料費や光熱費が上がり、人手不足も続く今、「もっと少ない人数で店を回せないか」「人件費をもう少し抑えられないか」と、多くの飲食店経営者が考えていることでしょう。飲食業には「FLコスト」という重要な指標があります。FはFood、食材原価。LはLabor、人件費です。日本政策金融公庫の業種別目安では、中華料理店の原価率は33%、人件費率は36%。合計すると69%です。一般に、FLを一定水準に抑えることが収益管理の基本とされます。

 

ところが鼎泰豐(ディンタイフォン)は、この常識から大きく外れます。2019年の台湾『商業周刊』の報道では、食材費は売上高の約23%、人事コストは約56%。合わせれば約79%です。人事コストだけで売上の半分を超える。普通なら「高すぎる」と真っ先に削減対象になりそうな数字です。それでも鼎泰豐は人への配分を厚くしてきました。ここで見るべきは56%という数字そのものではありません。「何にお金を使えば、自社の顧客価値が最も高まるのか」という資源配分の思想です。

 

 

FLの常識を組み替える

 

一般的な飲食店では、食材費と人件費をそれぞれ抑え、FL全体を管理するのが基本です。もちろん鼎泰豐にもコスト意識はあります。しかし、同社はすべての費目を一律に削るのではなく、競争力を生む費目には厚く配分し、その分を別の仕組みで支えています。つまり、コスト率を先に決めるのではなく、「どこで価値をつくる会社なのか」から費用構造を組み立てています。

 

人事コストの高さは一時的な数字でもありません。2014年の『遠見雑誌』では、楊紀華董事長が直近2年間の人件費率について46%、48%だったと語っています。『商業周刊』は2019年に56%と報じました。数字の定義や時点には注意が必要ですが、少なくとも、人への支出を長期にわたり高い水準で維持してきたことは読み取れます。会計上は人件費でも、経営上は品質をつくる生産能力への投資と考えているのです。

 

ここで見逃せないのが、FとLを別々に見るのではなく、何にお金を使って顧客価値を生み出しているのかという視点です。鼎泰豐は食材を粗末にして原価を下げているわけではありません。公式にも原材料の厳選と多層の品質管理を掲げています。一方、主力は小籠包、麺、炒飯など、素材価格そのものより、仕込み、成形、調理、提供、接客といった「人の仕事」で価値が大きく高まる商品です。

 

この構造で考えれば、人事コスト56%の意味が変わります。鼎泰豐はFLを単純に下げようとしているのではなく、FLの中身を自社の競争力に合わせて組み替えています。食材を仕入れて売るだけの商売ではなく、素材に技術、教育、標準化、接客を重ねて価値をつくる商売だから、人へ大きく配分する。コスト構造は、その会社がどこで価値を生むかを映す鏡なのです。

 

 

高い人件費を稼ぐ仕組み

 

もちろん、「人は大切だから人件費を増やせばよい」という話ではありません。FLが約79%なら、家賃、水道光熱費、減価償却費、管理費を払った後に利益を残す余地は小さくなります。鼎泰豐が高い人事コストを維持できるのは、それを支える別の経営能力を持っているからです。高賃金だけを切り取って真似しても、同じ経営にはなりません。

 

2019年の『商業周刊』は、鼎泰豐の特徴として高い客席回転数と低い賃料負担を挙げています。店舗によって条件は異なりますが、台湾では一日15~18回転、百貨店の賃料・歩率も3~5%程度という例が紹介されています。一般的な飲食店とは大きく異なる構造です。鼎泰豐そのものが強い集客力を持つため、出店先に人を呼ぶ側となり、賃料交渉力も高まる。ブランド価値が、費用構造にまで影響しているのです。

 

さらに重要なのが、限られた店舗面積から大きな売上を生む力です。高い品質とサービスが需要を集め、その需要を標準化された厨房とホールの運営で処理する。客を乱暴に急かすのではなく、仕事の精度と流れを高めることで客席回転数を上げる。その結果、家賃や設備費など固定費の売上比率は下がります。人件費を削って利益を残すのではなく、人へ投資して価値と売上密度を高め、固定費を相対的に薄めるという構造です。

 

ここには一般的なコスト削減とは逆向きの因果関係があります。人を減らす→人件費率を下げる→利益を残す、ではありません。人に投資する→技術とサービスが高まる→ブランドへの信頼が強まる→需要が集まる→高い客席回転数と売上密度が生まれる→その売上が再び人への投資を支える、という循環です。人件費は結果として高いのではなく、価値を生み出す循環の中核に置かれています。

 

だから、鼎泰豐の人件費率をそのまま目標にしても意味はありません。56%という数字は「善い会社」の基準ではなく、鼎泰豐というビジネスモデルの結果です。学ぶべきなのは比率ではなく、費用と価値の因果関係を設計する姿勢です。どの費用を削ると顧客価値が落ち、どの費用を増やすと競争力が増すのか。そこを見極めなければなりません。

 

 

人件費は価値創造費

 

では、人への投資は何を生み出すのでしょうか。第一に、良い人材を採用しやすくなる。第二に、定着すれば教育した知識や技術が社内に蓄積される。第三に、高い処遇を用意するからこそ、会社も高い品質、衛生、接客水準を求められる。そして第四に、経験を積んだ人が新人を育て、組織全体の能力を引き上げます。人への投資は、一人分の労働時間を買うのではなく、学習が蓄積する土台を買っているとも言えます。

 

良い人が長く働けば、その価値は年々高まります。小籠包を包む速さや正確さだけではありません。仲間の動きがわかる。店の状況がわかる。お客様の様子から次に何が必要かを判断できる。こうした力は、一日や二日の研修では身につきません。時間をかけて育てた人が辞めれば、失われるのは一人分の労働力ではなく、その人の中に蓄積された技術、判断力、関係性です

。

だから、人件費を見るときには「今月いくら払ったか」だけでは足りません。採用費、教育費、離職によって失われる技術、店長が新人指導に割く時間、ミスやクレームの増加、さらには顧客離れまで含めて考える必要があります。安い人を入れ替え続けるほうが、総コストでは高くつくこともあります。会計上の人件費と、経営上の人材コストは同じではありません。

 

経営者にとって、人件費は損益計算書の中で大きな数字として見えます。利益が苦しくなれば、削減対象として目につきやすい。しかし、その数字の向こうには働く人がいて、そのさらに向こうにはお客様がいます。だから問うべきなのは「人件費を何%にするか」だけではありません。「この人件費によって、どんな顧客価値を生み出しているか」です。

 

人を一人減らしたら、何が失われるのか。商品づくりの精度でしょうか。お客様への説明でしょうか。待ち時間への配慮でしょうか。教育でしょうか。反対に一人増やしたら、その一人によってどんな新しい価値を生み出せるのか。人数ではなく、顧客価値との結びつきまで考えて初めて、人件費を経営の言葉で語ることができます。

 

鼎泰豐から学ぶべきなのは、「人件費率56%を目指せ」ということではありません。削るべきコストと、増やすことで競争力になるコストを見分けることです。安さが競争力の店なら、人件費の設計は違うでしょう。しかし、人の技術、知識、提案、接客、信頼が商品価値を左右する店なら、人を減らすことは商品そのものを削ることになりかねません。

 

鼎泰豐にとって人件費は、利益が出た後に従業員へ還元するだけの費用ではありません。人が高い価値を生み、その価値が顧客を呼び、その売上が再び人への投資を可能にする。人件費は売上から差し引かれる費用であると同時に、次の売上を生み出す価値創造費です。人を大切にする経営とは、優しさだけではなく、人が価値を生む仕組みを経営として成立させることなのです。

 

ただし、高い給与を払い、人を多く配置しただけで、心のこもった接客が生まれるわけではありません。同じ人数がいても、お客様を見る店と、作業だけを見る店があります。鼎泰豐は、人への投資をどのように「言われる前に気づくサービス」へ変えているのでしょうか。

 

次回は、マニュアルがあるのになぜ接客があたたかいのか。標準化とホスピタリティという一見相反する二つを両立させる鼎泰豐の仕組みを追います。そこに、人への投資を顧客価値へ変換するもう一つの仕組みがあります。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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