笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

「このくらい」をどう世界標準にしたのか

小籠包の皮は5グラム、餡は16グラム、包んだときのひだは18本――。鼎泰豐(ディンタイフォン)の小籠包には、代表的にこうした細かな基準が紹介されています。職人が一つひとつ手で包みながら、できあがる商品にはほとんどばらつきがありません。世界のどの店を訪れても、「鼎泰豐らしい小籠包」が出てくる。その背景にあるのが、徹底した標準化です。

 

しかし、創業当初からこうした基準が整っていたわけではありません。かつては優れた職人たちが、経験と勘によって小籠包をつくっていました。その「このくらい」という感覚を、誰でも学び、世界のどこでも再現できる知恵へ変える大きな契機となったのが、1996年の日本進出でした。鼎泰豐が行ったのは、料理を機械的にすることではありません。個人の中にある暗黙の知恵を、組織が学べる言葉へ翻訳することでした。

 

第1回「鼎泰豐は何を変えなかったのか」では、鼎泰豐が業態を変えながら商いの軸を守った歩みを見ました。今回は、その軸を一店舗の美徳で終わらせず、世界で再現するために、職人の知恵をどう仕組みに変えたのかを追います。

 

 

日本人が投げた問い

 

1996年、鼎泰豐は新宿髙島屋に日本1号店を出店しました。その準備の過程で、日本側の料理人が台湾を訪れ、鼎泰豐の職人から小籠包づくりを学びます。そこで次々と具体的な質問が投げかけられました。「皮は何グラムですか」「餡は何グラムですか」「水と小麦粉の割合はどれくらいですか」。

 

ところが、当時の職人たちにとって、こうした問いは答えにくいものでした。長年の経験によって、手で触れば生地の状態がわかる。餡の量も手の感覚でわかる。皮の伸ばし方も、蒸し上がりの具合も体が覚えている。優れた仕事はできる。しかし、なぜそうするのかを説明しようとすると、答えは「このくらい」になってしまう。ここに、職人技を組織化するときの壁があります。

 

これは鼎泰豐だけの話ではありません。繁盛している中小企業や専門店には、「見ればわかる」「食べればわかる」「長年やっていればわかる」という知恵が数多くあります。それ自体は貴重な強みです。しかし、その知恵が本人の身体の中だけにある限り、他の人は学べません。

 

その結果、「あの人にしかできない仕事」が増えていきます。優れた職人がいることは強みですが、その人が休めない、辞めたら品質が落ちる、次の店へ技術を移せないとなれば、強みは同時に経営上のリスクにもなります。個人の能力が高いことと、組織の能力が高いことは同じではありません。知恵を共有できて初めて、個人の強みが会社の強みに変わります。

 

日本進出を機に、鼎泰豐は職人の感覚を一つずつ測りはじめました。皮の重さ、餡の量、ひだの数、作業の順番、時間、仕上がり。そこで明確になっていった代表的な基準が、皮5グラム、餡16グラム、18ひだです。感覚を数字にすることで、初めて「教える」「比べる」「修正する」が可能になります。

 

重要なのは、「18ひだ」という数字そのものではありません。優れた職人が無意識に実践していた仕事を観察し、「良い結果を生む条件は何か」を明らかにし、他の人にも伝えられる形にしたことに意味があります。標準化とは、職人技を否定することではありません。職人の中に眠る知恵を、組織全体の財産に変えることです。優れた個人の経験を言葉や数字に翻訳できたとき、技術は「その人の腕」から「会社の能力」へ変わります。

 

 

手順から品質へ進む

 

多くの企業で使われる言葉に「SOP」があります。Standard Operating Procedure、標準作業手順です。「何を、どの順番で、どのように行うか」を定め、誰が担当しても一定の仕事ができるようにします。SOPの役割は、作業のばらつきを減らし、再現可能な最低条件をつくることにあります。

 

鼎泰豐でも、作業の順序、動作、時間、役割などを明確にしていきました。しかし、標準化はSOPだけでは終わりません。なぜなら、手順どおりに仕事をしたからといって、必ずしも良い商品になるとは限らないからです。手順は同じでも、素材、気温、火力、混雑状況が違えば、仕上がりは揺れます。

 

たとえば「決められた時間蒸す」という手順があっても、条件が違えば、できあがりが同じになるとは限りません。お客様が求めているのは、「手順どおりにつくった料理」ではなく、「おいしい料理」です。経営が守るべきなのは工程の忠実さではなく、最終的にお客様が受け取る品質です。

 

そこで重要になるのが「SQP」、すなわちStandard Quality Procedure、標準品質手順という考え方です。SOPが「どうやるかをそろえる」ものであるのに対し、SQPは「どの品質まで仕上げるかをそろえる」ことに重きを置きます。つまり管理の焦点を、作業から成果へ一段進める考え方です。

 

ここには、経営における大きな違いがあります。マニュアルがある会社ほど、「手順どおりにやりました」という言葉が増えることがあります。しかし、お客様からすれば手順は見えません。見るのは、届いた商品、受けたサービス、そのときの満足です。だから本当に管理すべきなのは、従業員がルールを守ったかどうかだけではなく、「お客様に約束した品質が実現できたか」です。

自店でも考えてみる必要があります。「この商品なら100点」と言える状態は明確でしょうか。料理なら味、温度、量、盛り付け。小売店なら品ぞろえ、鮮度、包装、売場。サービス業なら説明、待ち時間、対応の正確さです。100点が曖昧なままでは、教育も改善も感覚論になります。

 

基準が担当者の感覚の中だけにあると、品質は人によって変わります。反対に、基準を言葉にし、数字にし、写真や実物で共有できれば、教えることも、振り返ることも、改善することもできます。基準とは人を採点するための物差しではなく、「何が良い仕事なのか」を組織で話すための共通言語です。

 

数値化できるものは数値にし、数値だけでは表せない色、艶、手触り、香り、接客の印象などは、写真や見本、具体例で共有する。そして重要なのは、基準を「到達点」にしないことです。標準は最低限守る線であると同時に、改善を始める基準点でもあります。

 

 

標準化を学習力に変える

 

鼎泰豐はさらに、SOPやSQPを単独のマニュアルとして終わらせず、IT、教育、業務日誌、品質検査、現場から上がる情報、改善活動などを結びつけて運用しています。台湾の作家・ジャーナリスト林靜宜が長期取材した『鼎泰豐 有溫度的完美』では、こうした全体的な仕組みを「DPS(Din Tai Fung Precision System)」、鼎泰豐精確システムとして紹介しています。

 

SOPで手順をそろえる。SQPで品質をそろえる。そしてDPSによって、現場で起きた問題や新しい発見を次の改善へつなげる。つまり、標準化は一度マニュアルをつくって完成するものではありません。「今日の標準」を、明日はさらに良い標準へ変えていく。標準化と改善を循環させることで、組織そのものが学習する仕組みになります。

 

ここが、標準化を「固定化」と考える会社との違いです。悪い標準化は、「決めたことを変えるな」と現場を止めます。一方、良い標準化は「現時点でわかっている最善」を共有し、より良い方法が見つかれば更新します。基準があるから昨日と今日を比べられる。違いが見えるから改善できる。標準は思考を止める答えではなく、改善のための仮説なのです。

 

標準化には、もう一つ大切な役割があります。基本動作で迷わないこと、品質の基準が明確であること、情報が正しく共有されることです。そうなれば、従業員は目の前の仕事を毎回一から考え直す必要がありません。判断すべきことと、判断しなくてよいことを分けられます。

 

頭の中の「迷い」に使っていた力を、より重要な判断へ振り向けられる。標準化とは、人を縛るためではなく、人を迷いから解放するためにある。この発想が、後に鼎泰豐の高いサービスにもつながっていきます。

 

一軒の繁盛店なら、すごい店主やすごい職人がいればつくれるかもしれません。しかし、その技術が本人の中だけに残っている限り、店の力はその人の能力を超えて広がりません。「なぜうまくいくのか」を聞く。観察する。測る。言葉にする。教える。実行する。結果を確かめ、また直す。この循環が回れば、一人の知恵は十人、百人の知恵になります。標準化の本質は、均一化ではなく、組織の記憶と学習力をつくることにあります。

 

鼎泰豐が世界標準にしたのは、小籠包の重さやひだの数だけではありません。優れた仕事を次の人へ渡し、さらに良くしていく方法そのものを仕組みにしたのです。ただし、品質基準を細かくし、教育を徹底し、高いサービスを求めれば、働く人への要求も当然高くなります。それだけの仕事を求めながら、なぜ鼎泰豐では人へ厚く投資し続けられるのでしょうか。次回は、その答えを人件費と収益構造から探ります。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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