笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

孤児院の壁には、外の世界とは切り離された静かな時間が流れています。子どもたちは決められた時間に起き、食事をし、眠ります。夜になれば院長のウィルバー・ラーチ医師が物語を読み聞かせます。

 

最後に決まって口にする言葉があります。「おやすみ、メイン州の王子たち。ニューイングランドの王たち」。そこには子どもたちを守ろうとする深い愛情があります。しかし同時に、その優しい世界には見えない境界線も引かれています。

 

主人公ホーマー・ウェルズは、その境界線の中で育ちました。映画「サイダーハウス・ルール」は、孤児院で生まれ育った青年ホーマーが外の世界へ出て、自分自身の生き方を見つけていく物語です。

 

ラーチ医師は彼を後継者にしようと医学を教えます。しかしホーマーは、師の考え方のすべてを受け入れることができません。そこで孤児院を離れ、リンゴ農園で働き始めます。そこに待っていたのは、教科書にも規則にも書かれていない現実でした。

 

人から教えられた正しさだけでは答えが出ないことがあります。善悪を簡単に分けられないこともあります。誰かを救うために、それまで信じていた考えを変えなければならないことさえあります。この物語が突きつけるのは、そんな人生の難しさです。

 

生きるとは、与えられたルールを守り続けることではありません。現実と向き合いながら、自分が引き受けられるルールをつくっていくことなのです。

 

 

誰がつくったルールなのか

 

リンゴ農園で働き始めたホーマーは、作業員たちが寝泊まりするサイダーハウスの壁に、一枚の紙が貼られていることを知ります。そこには生活上の規則が書かれています。屋根に上ってはいけない。パイプを吸ってはいけない。ベッドで酒を飲んではいけない。けれども、そこに暮らす人たちの多くは文字を読むことができません。つまり、自分たちが守るべきとされているルールを、自分たちは知らないのです。

 

さらに重要なのは、そのルールをつくったのが、そこで暮らしたことのない人たちだということです。リンゴを摘んだこともない。サイダーハウスで眠ったこともない。そこに暮らす人たちが何に困り、何を必要としているのかも知らない。それでも外側にいる誰かが「こうすべきだ」と決めています。

 

この場面は、日々の仕事にも重なります。「昔からこうしているから」「会社の決まりだから」「業界ではこれが普通だから」「みんなそうしているから」という言葉には強い力があります。考えなくても済むからです。決められたとおりに動けば、自分で判断する必要もありません。

 

しかし、そのルールは誰がつくったのでしょう。そのときと今では状況が変わっていないでしょうか。その決まりによって、本当に守るべきものが守られているでしょうか。もちろん、ルールには理由があります。だから軽々しく破ればいいわけではありません。

 

大切なのは、ルールの向こう側にある目的を見ることです。店の決まりも会社の制度も同じです。何のためにつくられたのか。その目的を果たしているのか。もし目的より、ルールを守ること自体が大切になっているなら、一度問い直す必要があります。

 

 

外へ出なければ見えないものがある

 

ホーマーは孤児院にいる限り、ラーチ医師から多くのことを学ぶことができました。医術も人生観も教えてもらいました。守られた場所で生きていれば、大きな失敗をせずに済んだかもしれません。それでも外へ出ます。ここに、この物語の大切な意味があります。

 

人から教わった知識だけでは、自分の生き方は決まりません。実際に働く。知らない人に出会う。恋をする。傷つく。誰かの苦しみを見る。どうすればいいかわからない出来事に直面する。そこで初めて、自分が何を大切にしたいのかが試されます。

 

商売でも、机の上だけで答えは見つかりません。会議室で「お客様第一」と唱えることはできます。しかし、お客様が何に困っているのかは売場に立たなければわかりません。経営者が「働きやすい職場をつくった」と考えていても、働く人がどんな負担を感じているかは、話を聞かなければ見えてきません。商店街の活性化策も、現場を歩かずに資料だけを読んでいては本当の課題に届きません。

 

現場は、正解を教えてくれる場所ではありません。自分の正解を問い直してくれる場所です。

 

外へ出るとは、遠くへ旅をすることだけではありません。自分とは違う立場の人の話を聞くことも外へ出ることです。知らない店を見ることもそうです。これまで避けてきた仕事に取り組むこともそうでしょう。自分の世界の中だけにいれば、自分の常識はいつまでも常識のままです。違う世界に触れたとき、初めて「これは本当に正しいのか」という問いが生まれます。

 

 

現実の痛みは正しさを揺さぶる

 

ホーマーはラーチ医師が行っているある医療行為に反対していました。自分にはできない。そう考えていました。それは単なる知識の問題ではありません。彼なりの道徳観から出した答えでした。ところが外の世界で、想像を超える苦しみを抱えた女性に出会います。

 

ここで物語は重い問いを投げかけます。正しいと信じてきた考えを守ることと、目の前で苦しんでいる人を助けること。その二つがぶつかったとき、どうするのか。簡単な答えはありません。

 

だからこそ重要なのは、ホーマーが誰かの答えをそのまま借りなかったことです。ラーチ医師に言われたからでも、規則に書かれているからでもありません。目の前の現実を見て、自分で考え、自分で決断し、その結果を引き受けます。

 

人は、正しいことを知っているだけでは成熟しません。自分の正しさが通用しない現実に出会い、それでも考え続けることで少しずつ成熟していきます。世の中には、白か黒かでは決められないことがたくさんあります。

 

経営でも同じです。価格を上げればお客様の負担になる。しかし価格を上げなければ従業員の賃金を守れないことがあります。長年のお客様の要望に応えたい。しかし一人の要望を受け入れることで、他のお客様に迷惑がかかることもあります。社員に寄り添うことは大切です。しかし何でも許すことが、本人のためになるとは限りません。

 

そこで必要になるのは「決まりではこうだから」という言葉ではありません。何を守るための決まりなのかを考える力です。

 

 

自分のルールには責任が伴う

 

自分のルールで生きるというと、好き勝手に生きることのように聞こえるかもしれません。しかし、それは正反対です。人から与えられたルールに従うだけなら、うまくいかなかったときに「決まりだったから」と言えます。しかし自分で考えて選んだなら、その結果から逃げることはできません。だから、自分のルールを持つことには責任が伴います。

 

ホーマーは外の世界を知った末に、自分がどこで何をするのかを選び直します。それは出発前と同じ場所に戻ることに見えるかもしれません。しかし中身はまったく違います。最初は、誰かに決められそうになった人生でした。最後は、自分で選んだ人生です。同じ場所に立っていても「そこにいる理由」が違えば、生き方は変わります。

 

仕事にも同じことが言えます。「会社に言われたから接客する」のと「このお客様に喜んでもらいたいから接客する」のでは、同じ行動でも意味が違います。「上司に言われたから掃除する」のと「気持ちよく買い物をしてもらうために掃除する」のでも違います。

 

人は、命令された仕事には最低限しか力を出しません。しかし自分で意味を見つけた仕事には、工夫が生まれます。ルールに従う人から、目的を考える人になる。そこに仕事の成長があります。

 

 

今日、一つの「当たり前」を問い直す

 

日々の暮らしには、たくさんのルールがあります。法律や社会の決まりだけではありません。会社の慣習。業界の常識。家族の習慣。そして自分自身がいつの間にかつくった思い込みもあります。「自分には無理だ」「この店ではできない」「昔からこうだから変えられない」「この業界では仕方がない」。それもまた、自分を縛るルールになっているかもしれません。

 

ならば今日、一つだけ問い直してみませんか。

 

「それは本当に、いまも守るべきルールだろうか」

 

すぐに答えを出す必要はありません。まず現場を見る。相手の話を聞く。自分とは違う世界に触れる。そして、なぜその決まりがあるのかを考える。大切なのは、ルールを破る勇気ではありません。自分の頭で考える勇気です。

 

人生には、答えが用意されていない場面が必ずあります。誰かがつくった規則も、昔教わった道徳も、そのままでは答えにならないことがあります。そのとき最後に頼れるのは、自分が見たものです。自分が聞いた声です。自分が感じた痛みです。そして、それらを引き受けたうえで考え抜いた自分自身の判断です。

 

「サイダーハウス・ルール」という題名にある「ルール」は、ただ守るためにあるものではありません。何のために生きるのか。誰を守りたいのか。どんな人間でありたいのか。それを考えるためにあります。

 

人から与えられた人生を生きるのではなく、自分で選んだ人生を生きる。そのために必要なのは、たくさんの正解を覚えることではありません。現実から目をそらさず、自分で問い、自分で選び、その選択に責任を持つことです。

 

今日まで当たり前だと思っていたことの中に、もう役目を終えたルールはないでしょうか。その一つを問い直すところから、自分の人生が始まります。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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