ある朝、いつものように店を開けようとすると、長年働いてきた社員から「辞めさせてください」と告げられたら、あなたはどうしますか。理由を聞けば、給料への不満、将来への不安、働き方への疑問が語られます。
代わりの人はいないから、引き留めようとするでしょうか。求人を出しても応募は来ないでしょう。それでも営業は続けなければならない――。いま、そんな光景が店や会社の存続そのものを揺るがしています。
帝国データバンクが2026年8月7日に発表した調査によれば、2026年1~7月に判明した人手不足倒産のうち、従業員や経営幹部の退職が直接・間接の要因となった「従業員退職型」の倒産は83件に達しました。前年同期の74件から12.2%増え、2022年以降5年連続の増加です。2025年には年間124件と初めて100件を超えましたが、今年はそれをさらに上回る過去最多ペースで推移しています。
この数字を見て、私は一つの言葉を思い出します。「店は客のためにあり、店員とともに栄え、店主とともに滅びる」という倉本長治の言葉です。いまほど、この言葉が経営の現実を鋭く言い当てている時代はないのではないでしょうか。

店は「人がいなければ成り立たない」時代へ
業種別に見ると、「従業員退職型」倒産が最も多かったのはサービス業の22件で、全体の26.5%を占めています。老人福祉施設や美容室などで多く発生しました。建設業は20件、運輸・通信業も12件に増えています。職人、ドライバー、営業担当者など、事業を実際に動かす人が辞めることで仕事を受けられなくなり、会社そのものが立ち行かなくなる事例が現実になっています。
かつて人材問題は、経営課題の一つでした。しかし、これからは違います。人がいることそのものが、営業を続けるための条件になります。商品があっても、売る人がいなければ商売になりません。設備があっても、動かす人がいなければ価値を生みません。お客様が来てくださっても、迎える人が疲弊していれば満足をつくることはできません。
「店は客のためにある」とは、商売の目的を示す言葉です。しかし、その目的を実現するのは店員です。だから、その後に「店員とともに栄える」が続くのでしょう。
店員はコストではありません。店員こそ、お客様に価値を届ける人です。常連客の顔を覚え、好みを知り、ちょっとした変化に気づく。商品の魅力を自分の言葉で伝え、困っているお客様に手を差し伸べる。こうした仕事は設備だけでは代替できません。店員を大切にすることと、お客様を大切にすることは別々の話ではないのです。
賃上げできない本当の原因を考える
今回の調査で、とりわけ重く受け止めたい指摘があります。近年は、原材料費などのコスト上昇分を商品やサービスの価格に十分転嫁できず、「賃上げ原資」を確保できないため、中核となる人材の流出を止められないケースが目立つというのです。帝国データバンクは、「待遇改善をしないことによる人材流出リスク」が顕在化していると指摘しています。
ここに、これからの中小企業経営の大きな課題があります。「利益が出たら賃上げしよう」では遅いのです。人が辞めれば、残された人に仕事が集中します。負担が増えれば、さらに誰かが辞める。人が足りないから営業時間を短くする。受注を断る。サービスが低下する。売上げが落ちる。すると、ますます賃上げできなくなる。
これは典型的な負の循環です。この循環を断ち切るには、人件費を単なる「削るべき経費」と考える発想を変えなければなりません。価格を見直す。粗利益の高い商品を育てる。生産性の低い仕事をやめる。ITやAIを使って事務作業を減らす。そして、そこで生まれた利益を働く人へ還元する。
つまり、人材定着の問題は人事だけの問題ではありません。商品政策、価格政策、業務改善、そして経営者自身の意思決定までを含む「経営そのもの」の問題なのです。
正社員の人手不足を感じている企業は、すでに約2社に1社に達しています。これから「辞めたら補充する」という経営はますます難しくなるでしょう。だからこそ問うべきは、「どう採用するか」の前に、「いまいる人が、ここで働き続けたいと思っているか」です。
最後に問われるのは店主
そして、この言葉には「店主とともに滅びる」という厳しい結びがあります。なぜ「店主」が出てくるのでしょうか。
店をつぶすのは人手不足そのものではありません。価格を決めるのも店主です。どこに利益を配分するかを決めるのも店主です。どんな職場をつくるか、誰を評価するか、人の話に耳を傾けるかどうかを決めるのも、最後は経営者だからです。
もちろん、すべての退職を防ぐことなどできません。より良い条件を求めて転職する人もいれば、独立する人もいます。人生にはそれぞれ事情があります。しかし、辞める人が出るたびに「最近の若い人は我慢が足りない」「給料だけで会社を選ぶようになった」と片づけていたら、何も変わりません。
むしろ経営者が問うべきは、「この退職から、自分たちは何を学べるだろうか」という問いでしょう。給料でしょうか。休みでしょうか。仕事量でしょうか。人間関係でしょうか。成長の実感でしょうか。それとも、自分の仕事がお客様や社会の役に立っていると感じられる誇りでしょうか。
店員とともに栄える店には、おそらく共通点があります。働く人を単なる労働力として扱わないことです。一人ひとりの名前があり、人生があり、得意なことがあり、目指している未来がある。その力を生かしながら、お客様の喜びを一緒につくっていく。その実感がある店では、「ここで働く理由」が生まれます。
人手不足の時代とは、人がいない時代ではありません。人から選ばれない会社が、人を確保できない時代です。お客様から選ばれる店をつくることと、働く人から選ばれる店をつくること。その二つは決して別物ではありません。
83件という倒産件数は、単なる統計ではありません。私たち商人に、「あなたの店は、本当に店員とともに栄えようとしているか」と問いかけています。
明日、新しい人を採ることよりも、今日働いてくれている人を大切にすることから始めましょう。その一歩こそが、これからの時代に店を残し、繁盛をつくる最も確かな経営なのだと思います。






