閉店間際の売場で、一人の従業員だけが忙しく動いていました。レジの応援に入り、電話を受け、発注の確認をし、後輩からの質問にも答える。店主はその姿を見て、心の中で「あの人がいてくれて助かる」と思います。
確かに、仕事のできる人がいる店は強いものです。気が利く。判断が早い。お客様への対応も安心できる。任せれば、期待以上に仕上げてくれる。店主にとって、これほどありがたい存在はありません。
しかし、その人に仕事が集まりすぎてはいないでしょうか。急ぎの仕事は、いつも同じ人へ行く。難しいお客様の対応も、その人に任せる。新人の教育も、欠勤者の穴埋めも、店主の相談相手も、その人になる。最初は本人も「任されている」と感じます。けれども、やがて疲れがたまり、表情が曇ります。
「自分ばかりが忙しい」「なぜ他の人は育たないのか」「頼られているのではなく、使われているのではないか」と感じ始めたとき、店にとって大切な人が静かに離れていく準備をしているかもしれません。
仕事のできる人を頼ることは悪いことではありません。しかし、頼りすぎることは危険です。その人を疲れさせるだけでなく、店全体の成長を止めてしまうからです。
できる人ほど声を上げにくい
できる人は困っていてもなかなか「できません」と言いません。責任感が強く、仕事の全体が見えているからです。自分が断れば誰かが困る。店が回らなくなる。お客様に迷惑がかかる。そう考えて、また一つ仕事を引き受けます。
周囲もその姿に慣れていきます。「あの人なら大丈夫」「あの人に聞けば早い」「あの人に任せれば間違いない」。そうして、気づかないうちに店の仕事が一人へ集中していきます。
本人が笑顔でこなしているうちは、問題が見えにくいものです。けれども、できる人ほど限界まで我慢します。弱音を吐く前に、自分で何とかしようとします。店主が気づいたときには、もう心が離れていることがあります。
仕事が集まりすぎると、本人の疲労だけでなく周囲にも影響します。他の従業員は「どうせ自分では任せてもらえない」と感じます。挑戦する機会が減り、成長も遅くなります。新人は何でもその人に聞くようになり、自分で考える力を失います。
一人の優秀な人が店を支えているように見えて、実はその人に店全体が寄りかかっている。これは店の強みではなく弱さです。本当にその人を大切にするなら、もっと任せることだけでなく、任せすぎないことも考えなければなりません。
任せることと押しつけることは違う
仕事を任せることは、人を育てるうえで欠かせません。信頼しているから任せる。期待しているから任せる。その経験を通じて、人は力をつけていきます。しかし、任せることと押しつけることは違います。
任せるとは、目的を伝え、権限を渡し、必要な支援を用意することです。押しつけるとは、説明も支援もなく、「あなたならできるでしょう」と背負わせることです。「できる人だから」と言って、いつも面倒な仕事を任せる。難しいお客様の対応だけをさせる。失敗しそうな仕事はその人に戻す。ほかの人が育たないことまで、その人の責任にしてしまう。これでは、信頼ではなく依存です。
できる人に仕事を任せるなら、その人の時間と負担を見なければなりません。今、どれだけの仕事を抱えているのか。本人にしかできない仕事なのか。他の人でもできるようにすべき仕事なのか。店主はそこを整理する必要があります。
また、できる人には「任せる仕事」だけでなく、「任せない仕事」も決めることです。その人が何でも引き受けてしまうなら、店主が止めなければなりません。「これは別の人にやってもらおう」「この仕事は教える側に回ってください」「今日は早く上がってください」という言葉も、優秀な人を守るためには必要です。
人は、頼られることでやりがいを感じます。しかし、頼られ続けるだけでは疲れます。感謝されても、負担が減らなければ続きません。できる人ほど、やがて「この店にいる限り、自分だけが背負い続けるのだ」と感じてしまいます。
感謝の言葉だけで人は守れません。仕事の配分を変えること。役割を見直すこと。周囲を育てること。そこまでして初めて、本当にその人を大切にしていると言えます。
一人に頼る店からみんなで支える店へ
できる人に仕事が集まる店では、たいてい仕事の見える化が不足しています。誰が何をしているのか。どの仕事に時間がかかっているのか。どの判断を誰がしているのか。それが曖昧なまま、できる人の努力で店が回っています。
まず必要なのは、仕事を書き出すことです。開店準備、接客、発注、在庫確認、掃除、電話対応、クレーム対応、新人教育、売場づくり。店には多くの仕事があります。それぞれを、今誰が担っているのかを見てみると、特定の人に偏っていることが分かります。
次に、仕事を分けることです。すぐに他の人へ移せる仕事。少し教えれば任せられる仕事。まだその人でなければ難しい仕事。三つに分けて考えます。全部を一度に変える必要はありません。一つずつ移していけばよいのです。
そのとき大切なのは、仕事を渡された人を責めないことです。最初から、できる人と同じようにはできません。時間もかかります。失敗もあります。そこでまた「やはりあの人でなければ」と戻してしまえば、いつまでも人は育ちません。
できる人には、実務を背負わせるだけでなく、教える役割を担ってもらうことも必要です。ただし、教育まで丸投げしてはいけません。何を教えるのか。どこまで任せるのか。店としての基準は何か。店主が一緒に整理することです。
一人の力で支える店は、短い期間なら強く見えます。しかし、その人が休んだ日、辞めた日、体調を崩した日、店は急に弱さを露呈します。みんなで支える店は、最初は時間がかかります。それでも、少しずつ人が育ち、仕事が分かち合われ、店全体が強くなります。
できる人を大切にするとは、その人にさらに仕事を積むことではありません。その人が長く力を発揮できるように、店の仕組みを変えることです。今日、店の中で一番頼られている人の顔を思い浮かべてみてください。その人は、最近よく笑っているでしょうか。疲れた顔をしていないでしょうか。「大丈夫です」と言いながら、少しずつ無理を重ねていないでしょうか。
その人がいなくなって初めて大切さに気づくのでは、遅いのです。「いつも助かっています」と伝えるだけでなく、「何を減らせるか」を考える。「頼りにしています」と言うだけでなく、「誰に分けられるか」を考える。「あなたならできる」と言うだけでなく、「一人で抱えなくてよい」と伝える。
できる人を守ることは、店の未来を守ることです。一人の頑張りに頼る店から、みんなで支える店へ。そこへ進むことが働く人にも、お客様にも、店主自身にもやさしい商いをつくるのです。






