笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

書店が消えると街は何を失うのか

7月3日、村上春樹の3年ぶりの新刊を求めて、深夜の書店前に人が集まりました。「有給を取った」と語る読者がいて、通常より3時間早く店を開けた書店があり、買ったばかりの本を店内で読み始める人がいました。

 

スマートフォンを開けば、欲しい本はすぐに探せます。電子書籍なら、その場で読み始めることもできます。それでも人は、発売の瞬間に立ち会うために書店へ向かいました。この光景は、書店の未来を考えるうえで見逃せません。

 

書店は、単に本を受け取る場所ではありません。本を待つ時間、手にした瞬間、同じ一冊を求める人たちの気配まで含めて、読者の記憶に残る場所です。だからこそ、街の書店が減り続けている現実は、単なる小売業の衰退として片づけてはいけません。私たちはいま、本との出会いを支える場所を失いかけているのです。

 

 

 

書店へ行く理由が細っている

 

帝国データバンクの「全国『書店経営』動向調査」によれば、2025年度の書店市場は1兆円台を維持する見通しです。しかし、2015年度の約1兆4000億円からは2割縮。さらに書店の38.7%が赤字、赤字と減益を合わせた業績悪化は69.7%にのぼります。2016年度以降、倒産や休廃業で市場から退出した書店は累計610社に達しました。全国の書店数も2025年度末時点で9993店となり、1万店を割り込んでいます。

 

この数字は重いものです。けれど、「本が売れない時代になった」とだけ見ると、本質を見誤ります。人は今も、言葉を必要としています。悩んだとき、学びたいとき、人生の向きを少し変えたいとき、人は一冊の本に助けられます。ただし、その本との出会い方が変わりました。

 

かつて街の書店は地域における本の入口でした。欲しい本がなければ店頭で注文し、届くのを待ちました。しかし、いまはネット通販があり、電子書籍があり、検索すれば在庫も価格もすぐにわかります。便利さだけで比べれば、リアル書店は不利です。だからこそ問われるのは、「なぜこの店で買うのか」です。

 

店に本があるだけでは、選ばれにくくなりました。これからの書店に必要なのは、品揃えの量だけではありません。この店に行けば何かに出会える、この店なら自分の関心が広がる、この店には人の温度がある。そう思ってもらえる理由です。書店は本を置く場所から、本と人の出会いを設計する場所へ変わる必要があります。

 

ネット書店は便利です。欲しい本を買うには、とても優れています。けれど、便利さには弱点もあります。検索は、すでに知っているものを探す行為です。おすすめ機能も、過去の購買履歴や好みに基づいています。つまり、自分の関心の周辺をなぞることは得意でも、まだ知らない世界へ連れ出すことは得意ではありません。書店の強みは、検索できない一冊に出会えることです。

 

リアル書店の価値はそこにあります。目的の本を探していたはずなのに、隣の棚で足が止まる。買うつもりのなかった本を、帯の言葉で手に取る。書店員のPOPに背中を押される。平台に積まれた一冊が、いまの自分に語りかけてくる。こうした偶然は効率の外側にあります。そして人の人生を変える本は、しばしば予定外の出会いから生まれます。

 

熊本市の長崎書店が取り組む選書サービス「ブックカルテ」は、その価値を現代的に磨いたものです。読者の好みや読書歴を「カルテ」として受け取り、専門スタッフがその人に合う本を選ぶ。これは、単なる販売ではありません。読者の人生に寄り添い、「あなたには、こんな世界もあります」と差し出す仕事です。

 

東京・虎ノ門のmagmabooksが取り組んでいる、タイトルを伏せ、印象的な一節だけで選ばせる「本の福袋」も同じです。何を買うかが完全にはわからないからこそ、買う行為そのものが体験になります。本を買う前から、すでに物語が始まっています。

 

どこの書店で買っても、本そのものは同じです。だからこそ、違いは「買い方」に生まれます。どんな気持ちで選んだか。誰にすすめられたか。どんな棚で出会ったか。そこに書店の仕事があります。書店が売っているのは本だけではありません。発見です。驚きです。自分の世界が少し広がる感覚です。

 

 

 

生き残る書店ではなく選ばれる書店へ

 

これからの書店は、二つの方向に進んでいくでしょう。一つは、圧倒的な品揃えと専門性を持つ大型店です。京都の大垣書店のように神社仏閣に関する写真集をそろえ、インバウンド客のおみやげ需要を取り込む動きは、地域性を生かした品揃えの好例です。単にたくさん置くのではなく、「ここに来れば、この分野に出会える」という理由をつくることが重要です。

 

もう一つは、店主や書店員の個性がにじむ小さな書店です。大型店のような面積はなくても、選書の軸が明確なら、店は目的地になります。棚貸し型書店、カフェ併設、文具や雑貨との組み合わせ、学習塾との連携なども、単なる多角化ではありません。地域の人が滞在し、会話し、学び、発見する場所へ変わろうとする試みです。

 

書店が一軒もない自治体が増えるなか、コンビニに本売り場を併設する動きや、郵便局で児童書を販売する取り組みも始まっています。これは、従来の書店だけで地域の読書環境を守ることが難しくなっている現実を示しています。同時に、本との接点を社会全体で守ろうとする兆しでもあります。

 

ただし、忘れてはならないことがあります。カフェも雑貨もイベントも大切です。非書籍の売上も、経営を支えるうえで必要です。しかし、それが「本から逃げるため」の手段になってはいけません。書店の中心にはやはり本がなければなりません。本を通じて人を励まし、地域の知的な温度を保ち、子どもたちに知らない世界への扉を開く。その役割を手放してしまえば、書店はただの複合小売店になってしまいます。

 

書店人に求められているのは、昔に戻ることではありません。いまの時代に、もう一度「本屋である理由」を選び直すことです。この店は誰のための場所なのか。どんな問いを抱えた人に来てほしいのか。どんな一冊との出会いをつくりたいのか。その答えが棚に表れ、POPに表れ、接客に表れ、店の空気になります。

 

村上春樹さんの新刊に並んだ人たちは、ただ本を買いに来たのではありません。その瞬間を味わいに来たのです。同じ作家を待つ人たちの気配を感じ、本を手にする喜びを確かめに来たのです。そこにリアル書店の未来があります。

 

街に書店があるということは、街に「考える入口」があるということです。偶然の一冊に出会える場所があるということです。まだ言葉にならない不安や希望を、誰かがそっと受け止めてくれる場所があるということです。

 

本を売る仕事は、静かな仕事です。けれど、その静けさの中で、人の人生を変えることがあります。だから書店人は、胸を張っていいのです。守っているのは本の在庫ではありません。人が自分の世界を広げる機会です。そしてその機会を守る店は、これからの街にこそ必要なのです。

 

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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