6月6日、大阪・西天満の浄信寺で執り行われた西端春枝さんの七回忌法要に参列しました。およそ200名の縁の人々が集い、本堂には厳かな読経の声が満ちていました。西端さんが旅立たれてから、もう六年が過ぎました。事務所の机に飾られた遺影に浮かぶ、あの穏やかな笑顔を見つめていると、お目にかかった折々の言葉や表情が、昨日のことのようによみがえってきました。
西端さんは戦後の焼け跡から商いを興し、夫の西端行雄さんと共に大阪・天神橋筋で衣料品店「ハトヤ」を開きました。その後夫妻は、志を同じくする商業者と力を合わせ、後のニチイへとつながる企業づくりに尽くされました。
その功績は企業を大きくしたことだけではありません。異なる歴史や考え方を持つ人々を結び、働く人を育て、商いに携わる一人ひとりに「何のために商うのか」を問い続けたことにあります。
売上や規模を追う前に、人を育てる。商売の技術を教える前に、人としての生き方を伝える。店の都合ではなく、お客様の幸せを考える。西端さんが生涯を通して示されたのは、商いとは人間を磨き、人と人とを結ぶ営みであるということでした。その教えは、多くの商業者の心に受け継がれています。

法話を聴いて感じたこと
法要の後、西端さんと縁の深い僧侶による法話を聴き、心に深く残った言葉があります。「頼むのではなく馮む」という言葉でした。どちらも「たのむ」と読みます。しかし、その意味は同じではありません。「頼む」は、相手に何かを求めることです。力を貸してほしい、助けてほしい、願いをかなえてほしい。そこには、頼む側の期待や都合があります。
一方の「馮む」は、信じて身を任せること。自分の計らいを超えたものをよりどころとし、そこに身を委ねることです。何かをしてもらおうとするのではない。損得や結果を条件にせず、深く信じて歩むことです。
その法話を聴きながら、私は西端さんの生き方そのものを思いました。人の善さを信じ抜く西端さんから教えていただいたことは、商売の方法論だけではありません。もちろん、商いについて多くのことを学びました。お客様を大切にすること、働く人を育てること、正直であること、店は地域や暮らしのために存在すること。けれども、それらの根にあったのは、もっと深い人間観でした。
人は弱い。迷いもする。欲もあれば、嫉妬もある。ときには過ちを犯し、人を傷つけることもあります。西端さんは、そうした人間の弱さを知らない方ではありませんでした。長い人生と商いの道を歩むなかで、人の心の複雑さを、誰よりもよく知っておられたはずです。それでも、人の中にある善い心を見ようとされました。
人間にはきれいな心と、そうではない心がある。だからこそ、きれいな心を見て生きていこう。そう語る西端さんの言葉には、人間を美化する甘さではなく、人間を見限らない強さがありました。
信じるに足るから信じるのではありません。裏切られない保証があるから任せるのでもありません。弱さも至らなさも知ったうえで、それでも、その人の中にある善さを信じる。それは、人を「頼む」というよりも、人を「馮む」という姿勢だったのではないでしょうか。
人を動かそうとするのではなく、その人の中にある力が目覚めるのを信じる。仕事をさせるのではなく、その人が人として育つことを願う。西端さんのまなざしには、いつもそのあたたかさがありました。

商いは願いから始まる
商いをしていると、ついお客様に「頼む」ことが増えていきます。買ってください。来てください。選んでください。紹介してください。もう一度利用してください。売上が厳しくなればなるほど、店の都合が前に出ます。今月の数字を達成したい、在庫を減らしたい、客数を増やしたい。お客様はいつの間にか、店の目標をかなえるための存在になってしまいます。
けれども、西端さんから教えていただいた商いは、その反対でした。店のためにお客様がいるのではない。お客様の暮らしをよくするために店がある。お客様に買ってもらうことを願う前に、お客様の幸せを願う。商品を売る前に、この商品がこの人の役に立つかを考える。自分の利益を優先するのではなく、相手にとっての善い選択を差し出す。それが商いの出発点でした。
お客様を「頼む」のではなく、お客様を「馮む」。これは、お客様の言いなりになることではありません。むしろ、お客様の中にある確かな判断力を信じることです。本当に価値のあるものなら、きちんと伝えればわかってくださる。誠実に商えば、すぐには届かなくても、やがて信頼は積み重なる。目先の安さだけでなく、自分の暮らしをよくするものを選びたいという心が、お客様の中にはある。そう信じるからこそ、値引きや売り込みに逃げず、価値を磨き、言葉を尽くすことができます。
商いは、相手の欲を刺激する技術ではありません。相手の中にある、よりよく生きたいという願いに応える営みです。そのことを、西端さんは言葉だけでなく、生涯を通して示してくださいました。

働く人を道具にしない
西端さんから学んだもう一つの大切なことは、人を育てるということです。経営者は、働く人に仕事を頼みます。売場を任せ、接客を任せ、数字を任せます。しかし、仕事を頼むだけでは、人は育ちません。「これをやってほしい」「この数字を上げてほしい」「間違えずに進めてほしい」といった要求だけが続けば、人は自分が成果を生むための道具として扱われていると感じます。
人を育てるとは、その人の可能性を信じることです。いまはできなくても、きっとできるようになる。失敗しても、そこから学び、立ち上がる力がある。自分で考え、自分で判断し、やがては誰かを支える人になる。その未来まで信じて任せる。これもまた、「馮む」ということなのでしょう。
人は、管理されたときよりも、信じられたときに力を発揮します。疑われている人は、失敗しないことばかり考えます。しかし、信じられている人は、その信頼に応えようと一歩前に出ます。西端さんは、商人を育てるとは、人間を育てることだと考えておられたのだと思います。
売り方を教える前に、どう生きるかを問う。利益のつくり方を教える前に、何のために商うのかを考えさせる。技術より先に、心の置きどころを伝える。その教えは、時代が変わっても古くなりません。むしろ、効率や数字ばかりが求められる今だからこそ、いっそう重要になっています。

いただいたものを次へ
七回忌法要に参列し、西端さんへの感謝が、あらためて胸に満ちました。私は、西端さんから多くの言葉をいただきました。けれども、本当にいただいたものは、言葉以上のものだったように思います。
人を見限らないこと。善い心を信じること。お客様の幸せを願うこと。働く人を道具にしないこと。誰が見ていなくても、恥ずかしくない商いをすること。それらはすべて、「頼む」のではなく、「馮む」という一つの姿勢につながっています。
商いをしていれば、思いどおりにならないことばかりです。お客様が来ない日もあります。信じた人に背を向けられることもあります。正直に続けても、すぐには報われないことがあります。
それでも、正しい商いを続ける。人の善さを信じる。お客様を信じる。共に働く仲間を信じる。そして、自分が歩むと決めた道を信じる。信じるとは、結果を保証してもらうことではありません。不確かなまま、それでも一歩を踏み出すことです。
西端さんが遺してくださった教えを、思い出として胸にしまっておくだけでは、恩返しにはなりません。学んだことを、自分の商いと仕事の中で生き直すこと。次の世代の商人に伝え、人を大切にする商いを一つでも増やしていくこと。それが、私にできる感謝の表し方だと思っています。
西端さん、ありがとうございました。教えていただいた商いの在り方を、これからも問い続け、伝え続けてまいります。人に何かを求めて「頼む」のではなく、人の中にある善い心を信じて「馮む」。その生き方を、私もまた歩んでいきたいと思います。






