「これなら家でもできそうです」
小さな店の奥で、笑い声が上がりました。テーブルの上には、見慣れた道具が並んでいます。参加者は身を乗り出し、店主の手元を見つめています。質問が飛び、店主が答えます。誰かがうなずき、別の誰かがスマートフォンで手順を撮影しています。
いつもの売場とは、少し違う光景です。靴店では足に合う靴の選び方を、理容店では肌を傷めない顔そり後の手入れを、料理店では家庭でもできるだしの取り方を、化粧品店では自分に合った眉の描き方を店主が生き生きと話しています。
普段は商品を販売している店主が、その日は先生になります。長年の商いで身につけてきた知識や技術を、目の前のお客様に惜しみなく伝えます。講座が終わり、参加者が席を立とうとしたとき、一人が店主に声をかけました。
「これ、完成したものを売ってもらえませんか」という何気ない一言が、後に新しい商品を生み、店の収益を変えていくことがあります。これが「まちゼミ」です。
正式には「得する街のゼミナール」。店主やスタッフが講師となり、少人数の参加者に専門知識や暮らしに役立つコツを伝えます。受講料は原則無料で、講座中に商品を売り込むこともしません。一見すると、売上から遠い取り組みに見えるかもしれません。
しかし、まちゼミの価値は、その日に何が売れたかでは測れません。本当の成果は、講座が終わった後に現れるからです。お客様の一言から商品が生まれる。店に眠っていた技術が、新しいサービスになる。参加者が店の魅力を人に伝え、新しい販路が開ける。
さらには、店どうしが互いのお客様を紹介し合うようになる。やがて後継者が戻り、店の未来がつながっていくーー。このようにまちゼミは、単なる無料講座ではありません。お客様との小さな対話から、次の商売を生み出す仕組みなのです。
一言が商品を生む
象徴的な事例があります。鹿児島県鹿屋市で、まちゼミの運営に携わっていた本村正亘さんは、自ら「黒ニンニクの効用とつくり方」という講座を開きました。講座では、黒ニンニクのつくり方や食べ方、暮らしへの取り入れ方を伝えました。
受講者たちは興味深そうに話を聞き、質問を重ねます。そして講座の中で、「完成した黒ニンニクを売ってほしい」という声が上がりました。つくり方を学びたい人だけではなく、自分でつくるのは大変だが、商品としてなら買いたいという人もいたのです。
本村さんは、その声を聞き流しませんでした。地元・大隅半島産のニンニクを使い、甘みがあり、食べやすい商品を目指して改良を重ねます。商品化までには約5年を要したといいます。
やがて完成した黒ニンニクは、年間150万円を売り上げる商品に育ちました。さらに、地元の菓子店がチョコレート商品に使うなど、別の商品への展開も生まれました。
最初から、黒ニンニクを売ろうとしていたわけではありません。始まりは、つくり方を教える小さな講座でした。そして、その講座で交わされたお客様の一言でした。
声の中に需要がある
新商品をつくろうとすると、多くの店は、まず「何を売るか」を考えます。商品をつくり、価格を決め、売場に並べ、広告を出す。その後で、お客様に受け入れられるかどうかを確かめます。
しかし、まちゼミは順番が違います。まず、お客様に役立つことを伝えます。反応を見ます。質問を聞きます。何に困っているかを知ります。何ならお金を払いたいと思うのかを確かめます。そのうえで、商品やサービスに育てていきます。
つまり、まちゼミは知識を教える場であると同時に、顧客ニーズを知る場であり、新商品を試す場、サービスを磨く場最初のファンをつくる場でもあるのです。
黒ニンニクの事例が教えてくれるのは、大きな資金や特別な設備がなくても、新しい商売の種は見つけられるということです。その種は、店の中だけにあるのではありません。お客様との会話の中にあるのです。
講座が終わったら、店主は自分にこう問いかける必要があります。「今日、どんな質問が多かっただろう」「お客様は、どこに不便を感じていただろう」「売ってほしいと言われたものはなかっただろうか」。その答えの中に、次の商売が隠れています。
当たり前が価値になる
ある理容店では、まちゼミで女性向けの顔そり体験を行いました。顔そりは、理容店にとって珍しい技術ではありません。店主にとっては、毎日行ってきた仕事です。しかし、その技術を、男性の身だしなみではなく、女性の美容や肌の手入れという価値に置き換えました。
すると、講座は好評を得ました。女性向けシェービングは正式なサービスとなり、男性中心だった顧客層が女性へ広がりました。新しい収益の柱が生まれ、後継者が店に戻れる経営基盤づくりにもつながったといいます。新しい技術を導入したわけではありません。すでに持っていた技術の「届ける相手」と「意味」を変えたのです。
店には、店主自身が気づいていない強みがたくさんあります。商品の違いを見抜く目。用途に合ったものを選ぶ知恵。壊れたものを直す技術。長持ちさせる手入れの方法。失敗しないための助言。何百人、何千人ものお客様を見てきた経験。これらは店主にとっては当たり前でも、お客様にとっては貴重な知識です。
だからこそ、自分に問いかけてみる必要があります。「私は、何の専門家だろう」「どんな困り事なら解決できるだろう」「お客様が知れば喜ぶことは何だろう」と。まちゼミの準備とは、講座をつくることだけではありません。自店の強みを掘り起こす作業でもあるのです。
お客様が語り手になる
鳥取県湯梨浜町の海辺の民宿では、まちゼミで手づくりピザ講座を開きました。その後、参加者からの要望で、手づくりパンの会が行われます。そこで民宿のベーグルを食べた参加者の一人が、「ぜひ食べてもらいたい人がいる」と沖縄の知人を紹介しました。
それがきっかけとなり、沖縄の宿泊施設へパンを空輸する取引が生まれました。店主が沖縄へ営業に出かけたわけではありません。商品とつくり手を知ったお客様が、店の価値を自分の言葉で伝えたのです。
商売にとって、商品を買ってくれる人は大切です。しかし、さらに心強いのは、店のことを誰かに語ってくれる人です。「あの店の人は、本当に詳しい」「困ったら相談してみるといい」「この商品は、ぜひ一度試してほしい」という言葉は、広告よりも深く届きます。
まちゼミでは、商品知識だけでなく、店主の仕事への姿勢や人柄まで伝わります。だから、参加者は単なる受講者では終わりません。店の応援者になります。
まちゼミの成果は、新規客を何人集めたかだけではありません。自店の価値を語ってくれる人を、地域に何人増やせたか。そこに、本当の成果があります。
実践者が仕組みを育てる
まちゼミを生み出し、全国へ広げてきた中心人物が、愛知県岡崎市の化粧品専門店「みどりや」の松井洋一郎さんです。中心市街地の衰退が進む中で松井さんは、小さな店の魅力とは何だろう、大型店やインターネット通販にないものは何だろうと考えました。
その答えは、店主そのものにありました。商品知識。専門技術。長年の経験。お客様に向き合ってきた人柄。それらを伝えれば、小さな店は価格や品ぞろえとは違う価値で選ばれることができます。その考えが、まちゼミという仕組みになりました。
しかし、どれほど優れた仕組みでも、実践する人がいなければ成果は生まれません。鹿屋市の本村さんは、商店街事務局として他店を支えながら、自らも講座を開きました。そしてお客様の声を受け止め、長い年月をかけて黒ニンニクを商品に育てました。
仕組みを伝える人がいる。地域で試す人がいる。失敗しても改善する人がいる。成果を仲間に伝える人がいる。その積み重ねが、まちゼミを各地へ広げてきました。地域を変えるのは、立派な制度だけではありません。自分の店から始めようとする、一人の実践者です。
店どうしが仲間になる
まちゼミの成果は、一店だけにはとどまりません。講座の企画や広報、振り返りを一緒に行うことで、参加店どうしが互いの専門性や人柄を知るようになります。
それまで、同じ地域にありながら、ほとんど話をしたことがなかった店どうしがお客様を紹介し合うようになります。「靴のことなら、あの店へ」「相続の相談なら、あの先生へ」「贈り物なら、あの店が詳しい」といった紹介は、互いの商売を知らなければできません。
鹿児島県のある地域では、参加店が共通クーポンをつくり、200枚のうち181枚が利用されました。興味深いのは、自店のクーポン内容を自分で考えるのではなく、仲間の店主が考えたことです。他店だからこそ、自店では気づかない魅力が見えます。
「この店は、ここが面白い」「この技術を、もっと前に出したほうがいい」「初めての人には、これを体験してもらうとよい」と店どうしが互いの強みを見つけ、伝え、支え合う。そのとき商店街は、単に店が並ぶ場所ではなくなります。お客様を安心して紹介し合える、信頼のネットワークになります。
成果は三段階で見る
まちゼミの成果は、三つの段階に分けて考えると分かりやすくなります。
第一は、すぐに見える成果です。参加者数、申込者数、満席講座数、新規来店者数、満足度です。
第二は、商売の成果です。再来店、固定客化、新商品、新サービス、新規販路、売上や粗利益の向上です。
第三は、地域の成果です。店主どうしの連携、若手商人の育成、事業承継、創業者の呼び込み、空き店舗の活用、地域内の相談ネットワークづくりです。
まちゼミの成否を受講者数だけで判断すると、第二、第三の成果を見落としてしまいます。たとえ受講者が数人でも、その中から長く通うお客様が一人育てば、大きな成果です。
一人の言葉から商品が生まれることもあります。一つの講座を任された若手従業員が、自信をつけることもあります。一店の成功に刺激され、周囲の店が変わり始めることもあります。だからこそ、問うべきは「何人来たか」だけではありません。「その後、何が変わったか」です。
一つの講座から始める
まちゼミに、最初から大がかりな準備は必要ありません。まず、自店の中にある知識や技術を一つ選びます。そして、誰の役に立つのかを考えます。
「商品の説明」ではなく、「お客様の困り事の解決」に置き換えることが大切です。たとえば、「包丁の商品説明」ではなく「家庭の包丁を長持ちさせる手入れ」であり、「靴の販売講座」ではなく「夕方になっても足が痛くなりにくい靴選び」であり、「化粧品の紹介」ではなく「5分で印象が変わる眉の整え方」と考えます。
そして、数人のお客様を招き、売ることを忘れて、役立つことに徹します。講座が終わったら、必ず声を聞いてください。「もっと知りたいことはありますか」「不便に感じていることは何ですか」「こんな商品やサービスがあれば使いたいですか」と問い、その答えを記録してください。
そこに、次の商売があります。
小さな対話が未来を開く
まちゼミでは、講座中に商品を売り込みません。それは遠回りに見えるかもしれません。しかし、売ることを急がないからこそ、お客様は安心して質問できます。店主も、目の前の人の悩みに集中できます。
そこから信頼が生まれます。信頼が生まれれば、困ったときに思い出してもらえます。「このことなら、あの店のあの人に聞こう」と思ってもらえたとき、店は単に商品を買う場所ではなくなります。地域にとって、頼れる存在になります。
黒ニンニクも、女性向け顔そりも、沖縄へ運ばれたベーグルも、始まりは小さな会話でした。「これを売ってほしい」「こんなサービスがあったら使いたい」「この商品を紹介したい人がいる」という声を受け止め、行動した人に、新しい商売が開かれました。
まちゼミの本当の成果は、講座を満席にすることではありません。お客様との対話を通じて、自店を見直し、まだ生かされていない強みに気づくことです。そして、その強みを、一つの商品、一つのサービス、一人の後継者、一軒の新しい店へと育てていくことです。
まず、自分の店で教えられることを一つ、書き出してみてください。その一行が、次の商売の始まりになるかもしれません。まちゼミは、人を集める事業ではありません。人と店との間に信頼をつくり、その信頼から次の商売を生み出す事業なのです。







