朝、駅へ向かう途中であたたかいコーヒーを買う。昼どきにはおにぎりとサラダを選ぶ。夕方には公共料金を支払い、夜遅くには明日の朝食を買って帰る。雨の日には傘を、出張先では歯ブラシを、疲れた夜には弁当を買う。私たちはいつの間にか、コンビニを「買物に行く場所」としてではなく、「暮らしの途中にある場所」として使うようになりました。
かつて店には営業時間があり、買物には目的がありました。しかしコンビニは、生活のすき間に入り込みました。朝、昼、夜、深夜。仕事の日、休日、旅先、災害時。街角に灯る看板は単なる小売店の印ではなく、暮らしを支える安心の灯りになりました。
その日本のコンビニをここまで育てた人が鈴木敏文さんでした。セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木さんは2026年5月18日、心不全のため亡くなりました。93歳でした。鈴木さんは1974年、東京・豊洲にセブン-イレブン日本第1号店を開き、日本の小売業だけでなく、生活のあり方そのものを変えた経営者でした。
売れなかったおにぎりに見た暮らしの変化
鈴木さんの功績は、アメリカ生まれのコンビニを日本に持ち込んだことだけではありません。むしろ本質は、それを日本人の暮らしに合う商いへとつくり変えたことにあります。その象徴がおにぎりでした。
いまでこそコンビニのおにぎりは当たり前の商品です。しかし発売当初は決して順風満帆ではありませんでした。家庭で炊いたご飯を弁当箱に詰めることが当たり前だった時代に、「店でおにぎりを買う」という発想は、まだ一般的ではありませんでした。発売当初は、思うように売れなかったとも伝えられています。
普通ならここでやめます。「やはり売れない」「日本人は外でおにぎりを買わない」と判断しても不思議ではありません。しかし鈴木さんは違いました。外食を利用する人が増えている。生活時間が変わり始めている。共働きや単身者も増えていく。ならば、家庭でつくっていた食事の一部はやがて外で買うようになるはずだ。そう仮説を立てました。これは、単なる商品開発ではありません。暮らしの変化を読む仕事でした。
おにぎりは日本人に最も身近な米飯商品です。その商品を、いつでも、どこでも、手軽に、おいしく食べられる形に変えたところに、鈴木さんの商いの目がありました。大手問屋が十分に協力してくれないなか、自分たちでメーカーを探し、弁当やおにぎりを共同開発する体制をつくったことも、セブン-イレブン独自の商品力を生む原点になりました。
鈴木さんは、「お客様のために」ではなく、「お客様の立場で」考えることを重んじました。「お客様のために」は、売り手の善意から始まります。しかし「お客様の立場で」は、買い手の現実から始まります。急いでいる。疲れている。少しだけ食べたい。今すぐ必要だ。けれど、できればおいしいものがいい。その生活者の一瞬を見逃さないところに、鈴木さんの顧客視点がありました。
商いのヒントは今日の不便の中にある
鈴木さんの経営は勘や経験を否定したものではありません。むしろ、現場の感覚を事実で磨き上げる経営でした。売れた、売れなかったという結果を見て終わらない。なぜ売れたのか。なぜ売れなかったのか。天候、時間帯、地域、客層、行事、生活の変化を読み、仮説を立て、売場で検証する。セブン-イレブンの強さはこの積み重ねにありました。
昨日売れたものが今日も売れるとは限りません。去年成功したやり方が今年も通用するとは限りません。お客様は変わります。暮らしは変わります。だから売場も変わらなければなりません。鈴木さんは、その当たり前を誰よりも厳しく実行した人でした。
もちろん、コンビニの発展は光だけではありません。加盟店の負担、24時間営業のあり方、人手不足、地域商店との関係など、多くの課題も残しました。偉大な経営者を悼むとは、功績だけを飾ることではありません。その仕事が残した課題も含め、次の時代の商人が受け止めることです。
それでもなお、鈴木敏文さんが日本の商業に残したものは計り知れません。競争相手を見る前に、お客様を見る。業界の常識を見る前に、暮らしの変化を見る。昨日の成功を守る前に、今日のお客様の不便を見つける。街角に灯るコンビニの明かりは、単なる便利さの象徴ではありません。暮らしに近づき続けた商いの証しです。その明かりの向こうに、鈴木敏文さんが生涯問い続けた顧客視点があります。鈴木敏文さんのご功績に深く敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。








