笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

その一言が店の印象を決めている

夕方の売場。お客様が商品棚の前で少しだけ立ち止まっています。手に取っては戻し、別の商品を見て、また最初の商品に視線を戻す。何かを迷っていることは明らかです。

 

そのとき、スタッフが近づいてこう声をかけます。「何かお探しですか」――悪い言葉ではありません。けれど、少しだけ事務的に聞こえることがあります。お客様によっては「大丈夫です」と答えて、そのまま距離を取ってしまうかもしれません。もしそこで、こう言えたらどうでしょうか。

 

「ご自宅用ですか、それとも贈り物ですか」
「今日すぐ使われますか」
「前回のものに近い感じをお探しですか」

 

たった一言です。けれど、その一言で店の印象は変わります。売ろうとしている店なのか。自分のことを考えてくれる店なのか。お客様は、そこを敏感に感じ取っています。

 

小さな店の強さは商品力だけでは決まりません。店主の人柄だけでもありません。売場に立つ一人ひとりのスタッフがどんな一言を発するか、そこに店全体の印象が宿ります。

 

商品知識より先に必要なのはお客様に気づく力

 

接客というと、まず商品知識を思い浮かべる人が多いかもしれません。もちろん、商品を知ることは大切です。素材、産地、機能、使い方、価格の違い、これらを説明できなければ専門店としての説得力は弱くなります。

 

しかし、商品知識だけで接客がよくなるわけではありません。なぜなら、お客様が最初に求めているのは説明ではなく、「自分を見てもらえている」という安心だからです。

 

たとえば、贈り物を探しているお客様がいます。本人はまだ言葉にしていません。けれど、棚の前で長く迷い、箱の大きさや包装を気にしている。その様子に気づけるかどうか。ここが接客の出発点です。

 

ある和菓子店では、スタッフに「商品を説明する前にお客様の目的を一つ見る」ことを意識してもらっているそうです。自宅用か、贈答用か。すぐ食べるのか、持ち歩くのか。年配の方に渡すのか、家族で分けるのか。そこがわかれば、勧める商品も言葉も変わります。

 

「こちらが人気です」ではなく、「お持ち歩きの時間が長いなら、こちらのほうが安心です」「ご年配の方への贈り物でしたら、甘さ控えめのこちらも喜ばれます」。この一言は、単なる商品説明ではありません。お客様の事情に寄り添う言葉です。

 

売れるスタッフは、よく話す人とは限りません。むしろ、よく見ている人です。迷っている、急いでいる、比べている、困っている、その小さなサインに気づける人の一言はお客様の心に届きます。

 

 

売れる一言は、押す言葉ではなく、寄り添う言葉

 

「おすすめです」
「よく売れています」
「こちらが人気です」

 

これらの言葉は接客でよく使われます。もちろん、間違いではありません。けれど、それだけではお客様の背中を押しきれないことがあります。なぜなら、その言葉は店側の視点に寄っているからです。

 

お客様が本当に知りたいのは「人気があるか」だけではありません。自分に合うか。失敗しないか。今買う理由があるか。贈って喜ばれるか。使いこなせるか。そこに答える一言があると、購入への不安は小さくなります。

 

ある衣料品店では、スタッフが「お似合いです」と言うだけで終わらせないようにしているそうです。代わりに場面を添えます。「お仕事にも休日にも使いやすい色です」「朝晩が冷える時期に、一枚あると便利です」「前回のパンツと合わせると、雰囲気が変わります」という一言によって、お客様は鏡の前の自分だけでなく、実際に着ている場面を想像できます。
商品が自分の生活の中に入ってくるのです。

 

食品店でも同じです。「おいしいですよ」より、「今日は火を使いたくない日にちょうどいいです」「明日のお弁当にも使えます」「冷やしておくと、夜においしく召し上がれます」といった言葉のほうが暮らしに届きます。

 

売れる一言とは、強く押す言葉ではありません。お客様が心の中で感じている迷いに、そっと答える言葉です。「買ってください」ではなく、「それなら、こちらが役に立ちます」と言えるかどうか。その違いが売り込みと提案を分けます。

 

店主だけが語る店からスタッフも語れる店へ

 

小さな店では、店主の言葉が大きな力を持ちます。店主が語ると、商品の背景が伝わる。思いが伝わる。選んだ理由が伝わる。だから、お客様は納得して買ってくださる。

 

しかし、店主だけが語れる店には限界もあります。店主がいない時間、忙しくて対応できない時間、スタッフだけで売場を任される時間。そのとき、店の価値が十分に伝わらなければ、せっかくの商品も力を発揮しきれません。

 

強い店は、店主だけでなく、スタッフも語れます。ただし、それは全員が同じ説明を暗記するという意味ではありません。大切なのは、店として大切にしていることを共有し、それをスタッフ自身の言葉で伝えられるようにすることです。

 

ある惣菜店では、朝礼でその日のおすすめを一品だけ取り上げ、スタッフ全員で「どう勧めるか」を確認しているそうです。「今日はこの煮物を売りたい」では終わりません。「どんな人に合うか」「どんな食卓に役立つか」「一言で伝えるなら何か」というところまで共有します。

 

すると、スタッフの言葉が変わります。「こちら、おすすめです」ではなく、「今日は寒いので、こういう煮物があると食卓が落ち着きます」「一人分でも使いやすい量です」「明日のお昼にも召し上がれます」という店主の思いが、スタッフの言葉を通して売場に広がっていくのです。

 

接客は才能だけで決まるものではありません。言葉の型を持ち、場面を共有し、少しずつ磨いていけば、店全体の力になります。お客様は、誰に接客されても、その店らしさを感じたいのです。店主がいても、スタッフがいても、同じ温度がある。同じまなざしがある。同じように気づかってくれる。その安心が、店の信頼になります。

 

一言は小さいものです。けれど、その一言が、店の印象を決めます。「売るための言葉」ではなく、「お客様の暮らしに届く言葉」を持つこと。その積み重ねが感じのいい店をつくり、相談される店をつくり、また来たい店をつくります。

 

小さな店の強さは、売場の広さではありません。広告の大きさでもありません。目の前のお客様に向けた、たった一言に宿るのです。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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