笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

材料高を越える店、越えられない店

誕生日のホールケーキ、仕事帰りに家族へ買って帰るシュークリーム、週末の食卓に置かれるプリンやロールケーキーー街の洋菓子店のショーケースには、いつも小さな幸福が並んでいます。洋菓子は生活必需品ではないかもしれません。しかし、人の心をほどき、家族の会話を生み、暮らしに彩りを添える大切な商品です。

 

ところが、その洋菓子店がいま厳しい局面に立たされています。帝国データバンクの「洋菓子店」の倒産動向によれば、2025年度に発生した洋菓子店の倒産は65件に上り、前年度の51件から約3割増加しました。2年連続で最多を更新したことになります。

 

小麦粉、バター、クリーム、カカオなどの原材料高に加え、包装資材、人件費、水道光熱費の上昇が重なり、営業利益率は平均0.7%まで低下。約3割超が赤字となり、減益を含めた「業績悪化」は6割に迫っています。

 

問題は、材料が高くなったことだけではありません。コンビニスイーツが専門店に匹敵する品質を備え、400円から600円前後の中価格帯で強力な競争相手になっています。大手洋菓子チェーンも店舗網を広げています。つまり街の洋菓子店は「仕入れは高くなる」「価格は上げにくい」「競争は激しくなる」という三重苦の中に置かれているのです。

 

 

 

「安くておいしい」だけでは守れない時代

 

かつて街の洋菓子店には、明快な強みがありました。手づくり感があること、地域に根ざしていること、家族の記念日に使ってもらえること、そして専門店でありながら手頃な価格で買えることです。

 

しかし、いま最も危うくなっているのが、この「手頃さ」です。材料費が上がっても、価格を据え置けば利益は削られます。利益が削られれば、設備投資も、人材育成も、新商品の開発も難しくなります。忙しく働いているのに、手元に利益が残りません。売れているのに、経営が苦しさを増しています。これほどつらい商いはありません。

 

一方で、値上げを恐れる気持ちもよくわかります。ケーキは毎日買うものではありません。価格に敏感なお客様もいます。地域密着の店ほど「高くなった」と言われることを恐れます。長年通ってくれたお客様に申し訳ないという思いもあります。

 

その結果、価格を上げずにサイズを小さくする、材料を少し変える、包装を簡素にするという選択が起こります。いわゆる実質値上げです。しかしこれは、かえって顧客満足度を下げることがあります。「前より小さくなった」「味が変わった」「特別感が薄れた」と感じられれば、信頼は静かに目減りします。

 

商いで本当に怖いのは、一度の値上げではありません。その理由が伝わらないことです。もっと怖いのは、気づかれないように価値を下げてしまうことです。お客様は価格だけを見ているのではありません。店の姿勢を見ています。誠実さを感じています。

 

材料高を正面から受け止めた店

 

材料高の中で、品質を守るために値上げを選んだ店があります。山梨県甲府市太田町の洋菓子店「べべナチュール」では、バター、卵、チョコレートなどの原材料価格の上昇を受け、2024年10月から一部商品の値上げに踏み切りました。報道によれば、卵の仕入れ価格は同年6月の1kg310円から390円へ、バターは450g764円から829円へ上昇。チョコレートもカカオ豆不足の影響で、1kgの仕入れ価格が1年前に比べて5割以上高くなる見通しとされていました。

 

注目したいのは、同店の初鹿淳子さんの言葉です。「材料価格は上がっても、今までどおりのものを仕入れていきたい、味は変えたくない」という趣旨を語っています。これは、単なる価格改定ではありません。お客様に届けてきたおいしさを守るための意思表示です。

 

値上げは、店にとって勇気のいる決断です。しかし、品質を落として価格を守るのか、品質を守るために価格を見直すのか。その選択の違いは、時間が経つほど大きくなります。前者は一時的に客離れを防ぐかもしれません。しかし後者は店の信頼を守ります。

 

お客様が納得するのは、原価の説明だけではありません。「この店は、何を大切にしているのか」が伝わるときです。「この香りと口どけを守るために、これまでと同じバターを使います」「大切な記念日に召し上がっていただくケーキだから、品質を落としません」「だから、価格を見直します」という順番で伝えることができれば、値上げは単なる負担ではなく、店とお客様の約束になります。

 

2026年以降も続く材料高の重圧

 

2026年以降も、洋菓子店を取り巻く環境は簡単には好転しそうにありません。帝国データバンクの資料でも、カカオなどの原材料価格は引き続き高騰が見込まれ、利益を確保できずに淘汰される洋菓子店は高水準で推移すると見られています。

 

実際、2026年に入ってからも現場の厳しさは続いています。静岡市内で7店舗を展開する洋菓子店「ぷるみえーる」では、包装資材の高騰や卵の調達難が報じられました。焼き菓子などに使う包装フィルムは、原料となるナフサの影響で価格が上昇し、同店の牧野良弘オーナーシェフは、「フィルム価格が倍ぐらいになっている」と語っています。さらに、看板商品の半熟プリンに欠かせない卵も高騰し、液卵を生から冷凍に切り替えたことでレシピを作り直す必要が生じたとされています。

 

ここから見えてくるのは、材料高とは単に仕入れ価格が上がることではない、という事実です。味、製法、作業工程、包装、販売価格、利益率。店のすべてに影響します。だからこそ、これからの洋菓子店には「耐える経営」ではなく、「組み替える経営」が必要になります。

 

多品種をそろえることが本当に強みなのか。売れ残りを前提にした製造を続けてよいのか。人手不足の中で、すべての商品を同じ労力で作り続けられるのか。材料高は、店に厳しい問いを投げかけています。

 

その問いに対する一つの答えが予約販売です。東京・高輪の「パティスリー リョーコ」は、現在、公式サイトで来店予約・配送予約を受け付けており、営業時間も予約制で案内されています。予約は1週間前の朝10時から受け付ける仕組みです。

 

同店は人気店として知られ、完全予約販売制の店として紹介されています。予約制は、単に希少性を高めるためだけの仕組みではありません。作りすぎを防ぎ、廃棄ロスを抑え、限られた材料と人手を価値ある商品に集中させる仕組みでもあります。

 

もちろん、すべての店が完全予約制にできるわけではありません。しかし、ホールケーキ、季節限定品、焼き菓子ギフト、イベント商品などから予約比率を高めることはできます。予約が増えれば、仕入れも製造も読みやすくなります。人員配置も安定します。お客様にとっても、「確実に買える」という安心につながります。

 

価格ではなく価値で選ばれる店へ

 

これからの洋菓子店に必要なのは、三つの視点です。

 

第一に、値上げを「お願い」ではなく「約束」として伝えることです。原材料が上がったから仕方なく値上げします、だけではお客様の心に残りません。品質を守るために、味を変えないために、大切な記念日にふさわしい商品であり続けるために、価格を見直します。そう伝えることで、価格改定は店の姿勢になります。

 

第二に、商品構成を見直すことです。すべての商品を残そうとすると、利益の出ない商品まで抱え込むことになります。看板商品、季節商品、予約商品、ギフト商品、日常商品。それぞれの役割を整理し、利益率、手間、集客力を見て、商品構成を組み替える必要があります。

 

第三に、地域の記念日需要を取り戻すことです。コンビニスイーツや大手チェーンに対して、街の洋菓子店が勝てる領域があります。それは、個別の記念日に寄り添う力です。子どもの誕生日、入学祝い、結婚記念日、退職祝い、地域行事、手土産。こうした場面では、価格だけではなく「気持ち」が重視されます。名前を入れる、好みを覚える、家族構成を知っている、去年の注文を覚えている。こうした小さな対応こそ、地域店の強みです。

 

洋菓子店は、単に甘いものを売る店ではありません。人の節目を預かる店です。材料高の時代に必要なのは我慢比べではありません。利益を削って耐えるだけでは、店も働く人も疲弊します。必要なのは「この品質を守るために、この価格にします」と正面から伝える勇気です。そして、その価格に見合う価値を磨き続ける覚悟です。

 

お客様は、安いものだけを求めているわけではありません。納得できるもの、信頼できるもの、誰かに贈りたくなるものを探しています。だからこそ、小さな店にもまだ十分に道はあります。

 

材料高は、店に厳しい問いを投げかけています。何を守るのか。何をやめるのか。誰に、どんな価値を届けるのか。その問いから逃げずに、自店の強みを見つめ直した店から、次の時代の繁盛が始まります。街の洋菓子店が守ってきたのは、甘い味だけではありません。家族の笑顔であり、地域の記憶であり、人生の節目に寄り添うあたたかな時間です。その価値をもう一度、店主自身の言葉で伝えること。そこに、材料高を乗り越える商いの道があります。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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