笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

値上げの時代に失ってはいけないもの

夕方の店先。常連のお客様がいつもの商品を手に取り、ふと値札に目を止めています。「あれ、少し上がったのね」という一言に、店主の胸が少しざわつきます。それが申し訳ないから、いやだからと値上げを躊躇する店主は少なくありません。

 

原材料費、物流費、人件費、光熱費、どれも上がっています。店としても、これまでどおりの価格では続けられません。値上げは、もはや特別な判断ではなく、商いを続けるために避けて通れない経営判断になっています。

 

けれど、値上げの本当に難しいところは、価格を変えることそのものではありません。そのときに、お客様との関係をどう守るかです。値上げで失ってはいけないもの、それは単なる客数でも、目先の売上でもありません。お客様からの信頼です。

 

値上げは「店の姿勢」が見られる瞬間

 

お客様は、値上げそのものに必ずしも反発しているわけではありません。物価が上がっていることは、多くの人が日々の暮らしの中で実感しています。むしろ、お客様が敏感に見ているのは「その値上げが納得できるものか」「店が誠実に伝えているか」という点です。

 

あるパン店では、原材料費の高騰により、主力商品の価格を改定せざるを得なくなりました。店主は値札だけを静かに変えるのではなく、店頭に短い文章を掲げました。「これまで価格を維持してまいりましたが、小麦、バター、包装資材の上昇が続いております。品質を落とさず、これまでどおりの味をお届けするため価格を改定いたします」

 

特別に美しい文章ではありません。けれど、そこには誠実さがありました。お客様からは「大変ですね」「続けてくれるなら、そのほうがいい」と声がかかったそうです。

 

値上げは店の都合を押しつける場面ではありません。なぜ変えるのか、何を守るためなのかを伝える場面です。そこが曖昧だと、お客様は「ただ高くなった」と感じます。そこが明確だと、「この店は守るべきものを守っている」と受け止めます。

 

安さを守るより価値を守る

 

値上げをためらう理由の多くは、「お客様が離れるのではないか」という不安です。その不安は当然です。けれど、価格を据え置くために量を減らし、質を下げ、サービスを削り、働く人に無理をかけるとしたら、それは本当にお客様のためでしょうか。

 

一時的には価格を守れても、商品の満足度が下がれば、結果として信頼は失われます。お客様は値段だけで店を見ているわけではありません。味、品質、接客、安心感、店への愛着、そうした総体として店を選んでいます。

 

ある惣菜店では材料費の上昇に悩み、当初は量を少し減らすことを検討しました。しかし店主は「この店の良さは、ちゃんと食卓の一品になる量にある」と考え直し、量と味を守ったまま価格を上げました。その代わりに、「一人暮らし向け」「家族で分けやすい」「翌日のお弁当にも使える」と、用途別の提案を強めたのです。

 

結果として、価格は上がっても「便利になった」「選びやすくなった」と受け止めるお客様が増えました。ここで守ったのは安さではありません。その店らしい価値です。値上げの時代に大切なのは、安い店であり続けることではなく、価格以上の納得を届けることです。価格を上げるなら、同時に価値の伝え方も上げなければなりません。

 

値上げを関係を深める機会にする

 

値上げは、本来なら言いにくい話です。できれば触れずに済ませたいもの。値札だけ変えて、あまり大きく知らせたくないもの。そう考える気持ちはよくわかります。けれど、黙って値札を変えるほどお客様は不信を抱きやすくなります。逆に、きちんと伝えることで店とお客様の関係が深まることもあります。

 

大切なのは長い説明ではありません。次の三つを簡潔に伝えることです。

 

1.なぜ上げるのか。
2.何を守るために上げるのか。
3.これからも何を約束するのか。

 

たとえば、衣料品店なら「縫製と素材の質を守るため」、食品店なら「味と安全を守るため」、専門店なら「これまでどおり責任を持って選び、提案するため」です。それを、その店らしい言葉で伝えればよいのです。

 

値上げは、単に価格表を直す作業ではありません。店が何を大切にしているかを、お客様にあらためて伝える機会です。もちろん、すべてのお客様が納得してくださるとは限りません。離れる方もいるでしょう。けれど、そこで無理にすべてを引き止めようとするより、価値を理解してくださるお客様との関係を深めることのほうが長い目で見て店を強くします。

 

値上げの時代に失ってはいけないもの。それは安さではありません。無理をして価格を守ることで、店の品質、働く人の誇り、商いへの信頼を失ってはいけないのです。

 

価格は変わっても、店の姿勢は変えてはなりません。むしろ厳しい時代だからこそ、何を守る店なのかをはっきり見せましょう。お客様はその姿勢を見ています。だからこそ、値上げのときほど誠実に、正面から店の価値を語ることです。

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笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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