「会社に勤める」「司会を務める」「努力に努める」──。どれも「つとめる」と読みますが、そこに込められた意味は微妙に違います。一つの音に四つの生き方を映すこの日本語には、働くことの本質が宿っています。ここではその違いを通して、“志をもって働く”ということを見つめ直してみましょう。
一つの音に四つの生き方がある
たとえば、あなたが「会社につとめています」と言うとき、それは「勤める」。雇用関係のもとで働く、日々の仕事を指します。一方、「結婚式の司会をつとめました」なら、「務める」。与えられた役割を果たすこと。
「健康のために運動につとめています」といえば、「努める」。目標に向かって努力する姿勢を表します。そして昔の表現で「勉めて早起きした」と言えば、「勉める」。現在はあまり使われませんが、「勉強」の“勉”と同じく“励む”意を持っていました。
同じ「つとめる」という音に、これほど多彩な意味が込められているのは、日本語の繊細さゆえ。“はたらく”とは、“はた(傍)を楽(らく)にする”ことと言われますが、その行いの形が、これらの漢字に映し出されているのです。
「勤」「務」「努」「勉」──働く心の四つの姿
それぞれの字には、人の生き方が刻まれています。
勤める(勤)は、「力を入れて事にあたる」象形から生まれました。日々の勤務を怠らず続ける姿。朝の通勤電車に揺られる人々の中にも、社会を支える静かな誇りが見えます。
務める(務)は、「矛」と「攵(のぶ)」の組み合わせ。困難に立ち向かい、役目を果たす姿を表します。結婚式の司会や会議の進行役、いずれも人の前に立つ“務め”には勇気が要ります。
努める(努)は、「奴+力」から成り、“無理を押しても力を尽くす”の意。努力する人の背中には、静かな決意が漂います。「努めて冷静に」「改善に努める」──その言葉には、自らを律する意志が光ります。
勉める(勉)は、「免+力」。力を出しきって“免れようとする”意から生まれ、“励む”ことを意味しました。現代では「勉強」など名詞で生き残っていますが、本来は“自ら力を尽くす”という生き方の象徴でした。
こうして見ると、「つとめる」とは単なる“働く”ではなく、“力を尽くして生きる”という人の在り方そのものを指しているのです。
「つとめる」に学ぶこれからの働き方
現代社会では「働く」ことが、どこか“我慢”や“消耗”の象徴のように語られることがあります。しかし本来の「つとめる」には、自らの力を人のために尽くす喜びが息づいています。
「勤める」は、組織に属し社会に貢献すること。
「務める」は、役割を引き受けて人を喜ばせること。
「努める」は、理想に向かって自分を磨くこと。
「勉める」は、日々新たに学びを積み重ねること。
どの「つとめ」も、“自分以外の誰かのために動く”という共通点をもっています。だからこそ、私たちはその行為を通じて成長し、やりがいを感じるのです。
働くことは、生活のためだけではなく、心を磨くための道でもあります。日々の仕事を“勤め”と考えるだけでなく、“務め”としての責任、“努め”としての挑戦、“勉め”としての学び――そう捉え直してみると、同じ仕事がまるで違って見えてくるはずです。
どの「つとめ」も、あなたの中にある“志”を映す鏡です。今日も、心をこめて“つとめ”てまいりましょう。






